線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

・・・の思い出

’77年 北陸駆け足旅 ー3ー

【1977/3/19】 この日で尾小屋鉄道が廃止となる。しかしながら前日のあの喧噪を目の当たりにし、きょう出かけても同じような写真しか撮れないだろうと、少し気が引けたので福井周辺の私鉄を見て回ることにした。というか、その同じ横浜の区内から来た方から…

’77年 北陸駆け足旅 ー2ー

【1977/3/18】の続き 新小松に戻り駅構内などをスナップする。 踏切を挟んだ向こう側はバスの車庫だった。うらぶれた瓦屋根の新小松の駅舎や、周囲のビルの囲まれた鉄道線の一角は時代に取り残された情景だった。 小型蒸機が置いてあった。保存機として静態…

’77年 北陸駆け足旅 ー1-

【1977/3/18】 前夜、上野発の急行「越前」は網棚に銀箱がずらりと並んでいた。そうかこれらの持ち主は皆揃って自分同様に小松で降りるのだなと判った。 尾小屋鉄道の3月19日での廃止が決まり、最後の姿を見ておこうと小松行きを決め、自分そして多くの御…

鉄道郵便車

東京・国立市の郵政研修施設で保存されている鉄道郵便車(オユ102555)に会って来ました。 屋外でありながらも屋根付きであり、建物に隣接し周囲が木々で囲まれていてることもあってか、風雨の浸食に耐えているようです。 守衛さんに申し出ることで車…

ロクイチ晴れ舞台の頃

鉄博にて日章旗姿でお披露目されている「ロクイチ」ですが、いずれは取り外されるらしい。となると日常の姿で団臨を牽く姿などを思い起すかもしれない、例えばこれとか。 (1984/1/9 品川-川崎) そうは言っても何かのイベントでHMを付けた姿をお披露目する…

’76年 四国・岡山の私鉄巡り旅 ー5-

【1976/9/20】 これまでずっと晴天が続いてきたが、朝目覚めると雨だった。宿の最寄りのバス停から下電バスに乗り児島へと向かう。 児島は広いバスセンターになっていた。下津井電鉄はその一角に乗場があり、簡素なプレハブ造りの駅舎だった。おそらく茶屋町…

’76年 四国・岡山の私鉄巡り旅 ー4-

【1976/9/19】 四国とはお別れの日。岡本から乗って来た琴電に別れを告げ、向かいに位置する高松駅を見上げる。四国入りした日は未明の時間だったので、その姿を初めて見るのが分かれの日とは皮肉だった。 魅惑の車両いっぱいの琴電に再訪を期して、一先ず別…

’76年 四国・岡山の私鉄巡り旅 ー3-

【1976/9/18】 朝、高知駅に向かい列車の運行状況を確認、幸いにも上り方面の運休は無く一先ず安心し土佐電鉄の撮影を開始。高知駅前からはりまや橋、そして県庁前まで歩いてスナップした。 「ごめん」「いの」の大きな方向板を掲げた電車が面白かったし、土…

’76年 四国・岡山の私鉄巡り旅 ー2-

【1976/9/17】 急行「鷲羽」は定時に宇野に着き、宇高連絡船に接続した。乗船したのは阿波丸だった。深夜便だからなのか判らぬが、出港時の蛍の光は無かった。 高松からは5時発の急行「うわじま2号」に時刻表通りに接続し、予讃本線を快調に飛ばして定時に…

’76年 四国・岡山の私鉄巡り旅 ー1-

国鉄線路上から蒸気機関車が引退すると同時に鉄道趣味から遠ざかる方がいらっしゃる一方で、旧型電気機関車や旧型国電に次なるターゲットを求める方が多くおられたが、自分はローカル私鉄訪問に注力しようと考えた。その手始めに四国・岡山の私鉄駆け足旅を…

あれから50年 鉄道100年

今年は鉄道開業150年。ついこの間に100年を迎えたと記憶する身には「あれから50年か」と感慨に耽ってしまうが、あの時の盛り上がりうねりには程遠い静かな鉄道150年だなと思っている。 1972年の鉄道シーンと言えば、関東地区の蒸気機関車は1…

品川駅高輪口

いま品川駅高輪口が変わろうとしていますね。かつての港南口が今のように大変貌したのと同じように、ガラリと姿を変えてしまうようです。 馴染みのある高輪口駅舎です。しかしながら港南口周辺の高層ビル群に背後から押されるように佇む姿はちょっと寂しそう…

’75年 西への旅 ー8-

【1975/2/27】 最終日は関西本線に初乗車し名古屋から東海道線をひたすら乗り継いで帰宅するコースとなっている。 乗車する鶴ケ丘は阪和線であり、手元の周遊券の経路外にあるので天王寺までの切符を求める必要があった。窓口氏に「天王寺1枚」と告げるにあ…

’75年 西への旅 ー7-

【1975/2/26】 残念無念、なんとも悔しい朝を迎えた。 「音戸1号」は途中の倉敷で車両(機関車)故障とのアナウンスで発車が大幅に遅れたのだった。大阪に着いたのは所定5:11のところを6:08と約1時間遅れであった。急ぎあの列車を求めて2番線に向…

’75年 西への旅 ー6-

【1975/2/25】 朝、YHを出て錦帯橋を渡ろうとすると入口のところで料金を請求された。「えっ、きのうはそんなこと無く只で渡って来たのに・・・」、どうやら日中は料金を徴収する時間帯のようなのだが、朝から少々イラっと来た。 広島駅では9時から午前中一…

’75年 西への旅 ー5-

【1975/2/24】 この日で北九州での滞在を終え、山陽線の名撮影地である光-下松間を訪ねることとした。 戸畑から急行「玄海1号」に乗り込む。同じ乗るならと今や非営業となってしまったサハシを選んだ。ビュッフェ車の椅子に腰かけての山陽路の車窓は優雅な…

’75年 西への旅 ー4-

【1975/2/23】 朝から快晴、絶好の撮影日和となった。 まずは八幡駅で確認するとダイヤ乱れは続いているようで、下り寝台列車群は3~4時間の遅れとあった。 八幡のカーブに出向くと、とっくに通過しているはずの「きりしま」がやって来た。その後も次々と…

’75年 西への旅 ー3-

【1975/2/22】 朝、目が覚めたら一面の雪景色。10cmほどの積雪となっていた。前夜のTVニュースでは関東以西の大雪を報じていて首都圏ではかなりの積雪と言っており、一方の福岡は曇りと報じていたのだが・・・。 駅名とは裏腹にモノトーンの朝になった…

’75年 西への旅 ー2-

前夜乗り込んだ、岡山発博多行き「月光2号」の発車時の車内放送と、翌朝の博多到着前の放送をお聞きください。深夜帯の発車のためかそっけない案内がちょっと残念。 さあ、いよいよ九州入りです。 【1975/2/21】 朝6時半に博多着。とても寒く冷たい風が容…

’75年 西への旅 ー1-

昭和50年3月のダイヤ改正(所謂ゴーマルサン改正)で新幹線が博多まで開業し、それとともに山陽-九州間の特急・急行が廃止となるので、その姿を見納めするのを第1目的とし、併せて地域の私鉄も見ておこうと西へと向かった。ただ、大阪から先は自分にと…

門型鉄塔

所用で鶴見に出掛けた日、時間繋ぎに鶴見線をちょっと散歩。 大昔に見た鉄塔の情景を訪ねた。 天を衝くかのような送電線鉄塔。その形態から門型鉄塔と呼ばれるそうな。 初めて見たのはここ鶴見線、子どもの頃は架線柱が送電線を兼ねているのかと思っていた。…

ロクイチ

初めて会ったのは中1の冬、「あっ、茶色い機関車だ!」と思った。 2度目に会ったのは大学1年の冬、その茶色い機関車が寝台急行を牽いて来た時。 「ふーん、茶色い機関車でも牽くことがあるんだ。」と思った。 茶色い機関車が牽く寝台急行として印象に残っ…

’74年北海道の旅 ー13-

【1974/9/18】 函館から青函連絡船12便に乗り早朝に青森着。 後続の便はと言えば、いわゆるゴールデンコースである。札幌を20時頃発ち連絡船は2便で青森着4時30分。4時50分発の「はつかり」に乗れば上野着13時台というもの。 そのスジに乗って来…

’74年北海道の旅 ー12-

【1974/9/17】 中山峠からバスで札幌駅前に戻る。自分はこの日の夕方に札幌を発ち帰京する予定。 それまでの時間は市内見物でもしようかと考えていた。 前日までは時刻表を首っ引きの計画を立てて行動して来たが、市内観光となると勝手が違う。あやふやな知…

’74年北海道の旅 ー11-

【1974/9/16】 早朝、岩見沢着。 前夜「それじゃ、明日朝に岩見沢のホームで」と言って別れた仲間は、待てどもオロハネ10から姿を現さなかった。 栗丘へ移動のため乗った列車は朝日を受けて進む。車窓からの景色を眺めていると、この列車の機関車と客車の…

’74年北海道の旅 ー10-

【1974/9/15】 前日乗った321レは機関車とともに南稚内に引き上げて泊となる運用だった。 翌朝、稚内へ機関車逆向きで回送され324レとなるので、それを眺めようと南稚内へ出向くと、偶然にも仲間の一人と一緒になった。 稚内への回送はホームに据えら…

’74年北海道の旅 ー9-

【1974/9/14】 紋別から興部の間で撮影できそうな場所が無いのは分かっていたので上興部まで移動した。山に囲まれた静かな駅だった。上下の貨物列車がそれぞれ長時間停車しながら交換するダイヤになっていたので、駅構内の上下側を行ったり来たりと歩き回っ…

’74年北海道の旅 ー8-

【1974/9/13】 急行「大雪5号」は網走行きだが、北見からは機関車を交換してC58牽引の普通列車となることで有名だった。それ故に北見発車を撮りたくて乗り込んだのであり、北見で降りたのだった。 発車まで約30分の時間があったので、駅を出て広い構内…

’74年北海道の旅 ー7-

【1974/9/12】 この日は朝から夕方まで塩狩で過ごす。前夜ここのYHを選んだのはもちろん、朝の322レ狙いだった。 朝飯前に和寒側の駅構内はずれで待つ、一面に霧が立ち込める中を蒸機機関車の吐息とヘッドライトが迫る。ファインダーでもナンバーを読み…

’74年北海道の旅 ー6-

【1974/9/11】 宿を発ち登別からD511120牽引の普通列車に乗り込んだ。メンバーは総勢十数人くらい居たのだろうか。 1番線に225レが進入。 2番線ホームの柱の美しさや味わいのありそうな跨線橋に、あの頃に目が行っていればなと今思う。 苫小牧で…