【1976/9/18】
朝、高知駅に向かい列車の運行状況を確認、幸いにも上り方面の運休は無く一先ず安心し土佐電鉄の撮影を開始。高知駅前からはりまや橋、そして県庁前まで歩いてスナップした。
「ごめん」「いの」の大きな方向板を掲げた電車が面白かったし、土佐電鉄を「とでん」と呼ぶことを知った。そう思って見ると、電車そのものも「都電」に似ているように思えた。
(高知駅前)南国ムードが漂っていた。
(はりまや橋)「土佐の高知の・・・」のこの橋が道路上のモニュメント然としているとは知らなかった。
(県庁前)山の上には高知城を望む。
10:03発の急行「土佐3号」に乗車すべく駅に戻ると既に改札待ちの列が出来ていた。列車は車両のやり繰りが付かないのか、所定のグリーン車なし、「よしの川号」の併結も無しという自由席のみ4両の急ごしらえの編成だった。
高知を発車し土佐山田を過ぎるといよいよ山登りが始まる。グイグイと登りに登る。車窓に一瞬、高知平野と太平洋の海原が見えた。さらにエンジンを響かせこれでもかと登ったところが繁藤だった。前年の台風で大きな被害を受けた地域だった。大歩危、小歩危の渓谷を過ぎると阿波池田。黄色く濁った吉野川が見えてきた。県境越えとなる山登りを終えると琴平に着いた。多度津から予讃本線に入って、定時に高松到着。
早速高松琴平電鉄、通称琴電のスナップに入る。起点の高松築港駅はすぐ目の前だった。有名な玉藻城脇から線路沿いに歩きながら行き交う電車をスナップする。片原町そして瓦町へと歩いていると、どれもこれも曰くありげな古典的車両がやって来る。また線路脇には柵も無く路面電車の専用軌道の趣だった。
玉藻城の脇を行くコトデン。今もこの風景は変わらない。
怪しげな車両がひっきりなしにやって来るのが、当時の琴電の魅力。
瓦町から長尾線に乗る、琴電での目的のひとつである元阪神の金魚鉢に乗ることが出来た。一先ずは足跡を残すことが出来たので木太東口で下車して瓦町に戻る。瓦町駅には各方面の電車が発着し乗降客も多く賑わっている。
「金魚鉢」の特徴のひとつ、ひざの高さまである貫通扉の窓は眺望抜群。
隣の栗林公園を観光しようかと一瞬思ったが入園料が掛かるのでやめて、再度、築港駅から瓦町間をブラブラした後、宿のある岡本へと琴平線で向かった。