線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

・・・の思い出

高尾発長野行き

3月のダイヤ改正で中央線篠ノ井線経由の高尾発長野行きが消え、大月発に姿を変えた。高尾駅の発車案内から長野の文字が消える前にとスナップしてみた。 中央線下りの発車案内に長野、大月、小淵沢と続く。大月行き10両は233系だ。 オレンジラインの2…

万世橋の情景

かつては都電が走り、交通博物館があり少年たちの憧れのスポットだった秋葉原の万世橋。そんな橋の袂と中央線のガードに挟まれた場所に今も建つ「肉の万世」の営業が、この3月末で終わるという。 (1970/4) 交通博物館に遊びに行った日、父親から借りて来…

迎光号

正月早々に大きな災害と事故に見舞われた三が日は初撮りも地味目に。「京王レールらんど」で「迎光号」のヘッドサインが掲げられているというので出かけて来た。 京王線特急「迎光」。コレを見ただけで、どんな正月飾りよりも”正月らしさ”を感じる。 600…

白つばめ

TEPPAKUの「ロクイチ様」に「つばめ」のHMが取り付けられたと聞き、(迷った挙句に)秩父鉄道からの帰り道に大宮で途中下車したのは10月のこと。 それは白というよりクリーム色がかっていたし、ところどころに傷もあって過去に使用された雰囲気が…

浜川崎支線 旧国のころ

極めて地味な浜川崎支線だが僅かばかりのスナップがある。 (1971/5/5 浜川崎) 気品さえ感じるクモハ11の前面。 (1977/9/28 尻手) ↑と同じ浜川崎方だが、これはクハ16で切妻形前面。 (1980/11/11 浜川崎) あの駅名標を窓越しに。2個づつ仕切られた…

北恵那鉄道 -2-

駅構内にはまさに古色蒼然の言葉がふさわしいような電車がたむろしていた。 車庫に佇む560形。転轍器さんのブログで紹介されたカットと同じ場所だ。 デ2 1924年製デ1形4両の内の1両で唯一の生き残り。 ク81 1936年製 三河鉄道と名鉄を経て…

北恵那鉄道 -1-

先ごろ転轍器さんのブログで北恵那鉄道に触れられていた。(こちらの記事)ワンカットのみのご紹介だったが、その写真を拝見しながら廃止間近の夏の終わりに訪れた日のことが一気に蘇って来た。 あの頃の北恵那鉄道は訪問しずらいことで有名だった。朝と夕方…

倉敷市駅

水島臨海鉄道の倉敷市駅あたりを訪ねてみた。 倉敷駅の改札から駅ビルの外に出るとペデストリアンデッキに繋がり、倉敷市駅への案内に従って右に進むとここに出る。デッキから駅には繋がっておらず階段を下りて駅へと向かう形。 駅から数百メートル進むと見…

’78讃岐・阿波・京の旅-7-

【京都市電・京阪電車】 273(260形) 昼過ぎに京都市内に戻り、東山三条で京都市電と京阪京津線を見た。 さらに知恩院前から八坂神社の前まで歩きながら市電をスナップする。 祇園の電停から東山七条まで市電に乗った。 市電を追いながら三十三間堂博…

’78讃岐・阿波・京の旅-6-

【亀岡にて】 亀岡の朝は雪景色だった。駅へと出向くと下り貨物が停まっている、DD51とDE10の重連だ。これは幸先良いと駅の薗部方の大カーブを目指す。前日に前もってロケハンしておいたので不安なく歩けた。目の前の風景は長閑な田園地帯であるが、…

’78讃岐・阿波・京の旅-5-

【京都へ】 高徳線、連絡船、急行「鷲羽」と乗り継いで5時半に新大阪着。そのまま緩行線に乗り継いで6時過ぎに京都に着いた。もしかしたらまだDF50が残っているのではと思い、早速、山陰線の朝の上り客レを見てみることとした。 山陰線下り列車に乗り…

’78讃岐・阿波・京の旅-4-

【徳島・小松島】 屋島から高徳線に乗り徳島に向かうこととしていた。その前にDE10牽引の高松行き客レを撮る算段を立てていたのだが、宿の朝食が遅くなってしまって撮り逃がしてしまったのが残念。 気を取り直して高松からの急行301Dに乗り込む。入…

’78讃岐・阿波・京の旅-3-

【瓦町ほか】 春日川から瓦町に来た。 22(1925年生まれ 大阪電気鉄道デロ20形 側窓に飾り窓跡) 62(元東急 半鋼製車体を新造) 琴平線、長尾線そして志度線が集まるここには、まさに種々雑多な電車の博物館だった。 瓦町から仏生山の車庫に行っ…

’78讃岐・阿波・京の旅-2-

【房前にて】 屋島の宿を発ち、琴電の志度線に乗り房前で降りた。ここは海を入れて撮れるということで降りてみたのだった。 まずは隣の原駅の方に歩いてみた。海を入れるとなると画面中央に無粋なコンクリートの防波堤が入ってしまった。 それでもなんとかア…

’78讃岐・阿波・京の旅-1-

【鬼無にて】 ’78年2月、2週続けての日曜日に雪の水上での撮影を終えた翌々日の朝は、四国・高松駅の待合室で迎えた。 前夜、東京を新幹線で発ち新大阪から急行「鷲羽」と宇高連絡船を乗り継いで、未明の高松に着いたところだった。まだ暗い外はヒューヒ…

ある冬の水上 -ロクヨン-

あれから数年後の1981年1月、久しぶりに雪の水上を訪ねた。 EF16の姿は既に無く、その置き換え用として長岡に配備された新鋭のEF64の1000番台が水上にも駐機していた。 塒にたむろするロクヨン1000。EF16の時代にもこの塒を訪問し…

’78冬の水上 -新潟色-

この頃、新潟色を纏った70系が高崎に顔を出すことは無くなっており、新潟県内での運用になっていました。それが1月から2月一杯の休日にスキー客輸送のため越後湯沢~水上間を延長運転する列車を時刻表で知り、もしやと期待を込めて出掛けたのでした。 7…

’78冬の水上 -スキー臨-

あの頃の上越線では日中の電機牽引による定期旅客列車を見ることは出来なかったが、最繁忙期にはEF58牽引の臨時急行が運転され、しかも石打~水上間はEF16が先頭に立つのだった。 とりわけ冬のスキー客対応の列車は魅力的だった。1月半ばから2月一…

’78冬の水上 -貨物列車-

-「横川から津久田への日」から続く- 津久田から一旦帰宅した翌日、スキー臨のスナップを目的に再び上越線に乗り、水上に出向いた。水上へはその翌週の日曜日にも出向くという熱の入れようだった。 あの頃の上越線は特急「とき」や急行「佐渡」「よねやま…

横川から津久田への日 ー2-

【横川から続く】 この日のメインイベントを迎えるべく、横川を発ち高崎経由で上越線の津久田に降りた。 これから来る上り列車を所謂列車写真としてスナップするなら、もっと別の場所があるのだが、間もなくやって来るその列車の愛称幕をしっかり撮りたくて…

横川から津久田への日

昭和50年代、2月の声を聞くと上越線方面が気になって仕方がなくなって来る。時刻表の冬の号を見てはスキー臨の動きを調べ、それに合わせて撮影の日程を考えるのだった。 毎週土日に走るものであれば余裕を持っていられるが、4~5回しか走らないもの、まし…

高崎駅のクハ55・クモハ60

【クハ55】 いわゆるモハ40系グループの制御車、電動車がモハ40→41→60と発展した中で、制御車として長年に渡り製造された。よって製造年次でスタイルが異なったり改造による編入などにより異端車が多い。 高崎ではクハ55に便所取り付け工事が行…

高崎駅のクモハ40・クモハ41

【クモハ40】 国鉄初の20m電動車で両運転台付。初期車は平妻形。このグループは初期車の第二陣で、運転室の奥行が長くなり、運転室用の側窓が新設された関係で客室用側窓が小さくなったもの。その結果、小窓が2つ並ぶという特徴がある。 両エンドとも…

高崎駅の旧型国電

’70年代の高崎駅で出会った旧型国電の思い出を振り返ってみたいと思います。新前橋電車区の車両が両毛線、長野原線(吾妻線)、信越線の横川まで活躍していましたし、時には新潟から長野からの車両も来たりしてました。 方向版を掲げた姿が凛々しいですね…

姫路駅のアレ

津山方面への旅、前回は岡山からで今回は姫路から入りました。それは姫新線に乗ってみたいと思ったことと併せて、思い出に再会したかったから。 今やマスコミでも紹介されて有名になってしまった「姫路駅そば」。中華麺を使用しソフトな味の醤油の汁は、関東…

168-9001

リニア鉄道館では是非会いたいと思っていたのが、新幹線100系の食堂車168-9001でした。 新幹線100系の思い出を以前にもお伝えしたところですが、その思い出の168-9001にやっと会えることが出来ました。 試作車を示す9001の番号に…

’77年 北陸駆け足旅 ー7ー

【1977/3/20】の続き 福井発午後1時半の急行に乗って富山へ向かう。以前から気になっていた富山地鉄を是非見たいと思ってのことだ。 富山に着いたのは午後4時近く、日没も近いので急いで電鉄富山駅から上市行きに乗車した。どこか撮影に適した場所を見つけ…

’77年 北陸駆け足旅 ー6ー

【1977/3/20】 朝から晴れ。尾小屋鉄道はもう走っていない。折角福井へ来たので東尋坊を観光してみようと思い駅へ向かうと、宿の近くの城の濠には除雪で集めた雪が投げ捨てられていて、泥混じりの雪が小高い丘のようになっていた。こんなことも春近しの情景…

’77年 北陸駆け足旅 ー5ー

【1977/3/19】の続き 最終日となった尾小屋鉄道では、新小松発17:20から運賃無料となった。また、倉谷口行き定期列車に金平までの臨時が続行するというダイヤとなっていた。 駅構内には蛍の光のメロディーが流れ、鉄道の廃止と明日からのバス運行開始の…

’77年 北陸駆け足旅 ー4ー

【1977/3/19】の続き 福井へ戻り、国鉄の急行に乗って武生に向かう。武生新まで歩いて福武線に乗り込んだ。知り合ったばかりのその方は自分よりも年長の方で、このあたりも以前に来たことがあるとのこと、撮影に適した鉄橋があるから行ってみようとのことだ…