線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

・・・の思い出

’75年 西への旅 ー8-

【1975/2/27】 最終日は関西本線に初乗車し名古屋から東海道線をひたすら乗り継いで帰宅するコースとなっている。 乗車する鶴ケ丘は阪和線であり、手元の周遊券の経路外にあるので天王寺までの切符を求める必要があった。窓口氏に「天王寺1枚」と告げるにあ…

’75年 西への旅 ー7-

【1975/2/26】 残念無念、なんとも悔しい朝を迎えた。 「音戸1号」は途中の倉敷で車両(機関車)故障とのアナウンスで発車が大幅に遅れたのだった。大阪に着いたのは所定5:11のところを6:08と約1時間遅れであった。急ぎあの列車を求めて2番線に向…

’75年 西への旅 ー6-

【1975/2/25】 朝、YHを出て錦帯橋を渡ろうとすると入口のところで料金を請求された。「えっ、きのうはそんなこと無く只で渡って来たのに・・・」、どうやら日中は料金を徴収する時間帯のようなのだが、朝から少々イラっと来た。 広島駅では9時から午前中一…

’75年 西への旅 ー5-

【1975/2/24】 この日で北九州での滞在を終え、山陽線の名撮影地である光-下松間を訪ねることとした。 戸畑から急行「玄海1号」に乗り込む。同じ乗るならと今や非営業となってしまったサハシを選んだ。ビュッフェ車の椅子に腰かけての山陽路の車窓は優雅な…

’75年 西への旅 ー4-

【1975/2/23】 朝から快晴、絶好の撮影日和となった。 まずは八幡駅で確認するとダイヤ乱れは続いているようで、下り寝台列車群は3~4時間の遅れとあった。 八幡のカーブに出向くと、とっくに通過しているはずの「きりしま」がやって来た。その後も次々と…

’75年 西への旅 ー3-

【1975/2/22】 朝、目が覚めたら一面の雪景色。10cmほどの積雪となっていた。前夜のTVニュースでは関東以西の大雪を報じていて首都圏ではかなりの積雪と言っており、一方の福岡は曇りと報じていたのだが・・・。 駅名とは裏腹にモノトーンの朝になった…

’75年 西への旅 ー2-

前夜乗り込んだ、岡山発博多行き「月光2号」の発車時の車内放送と、翌朝の博多到着前の放送をお聞きください。深夜帯の発車のためかそっけない案内がちょっと残念。 さあ、いよいよ九州入りです。 【1975/2/21】 朝6時半に博多着。とても寒く冷たい風が容…

’75年 西への旅 ー1-

昭和50年3月のダイヤ改正(所謂ゴーマルサン改正)で新幹線が博多まで開業し、それとともに山陽-九州間の特急・急行が廃止となるので、その姿を見納めするのを第1目的とし、併せて地域の私鉄も見ておこうと西へと向かった。ただ、大阪から先は自分にと…

門型鉄塔

所用で鶴見に出掛けた日、時間繋ぎに鶴見線をちょっと散歩。 大昔に見た鉄塔の情景を訪ねた。 天を衝くかのような送電線鉄塔。その形態から門型鉄塔と呼ばれるそうな。 初めて見たのはここ鶴見線、子どもの頃は架線柱が送電線を兼ねているのかと思っていた。…

ロクイチ

初めて会ったのは中1の冬、「あっ、茶色い機関車だ!」と思った。 2度目に会ったのは大学1年の冬、その茶色い機関車が寝台急行を牽いて来た時。 「ふーん、茶色い機関車でも牽くことがあるんだ。」と思った。 茶色い機関車が牽く寝台急行として印象に残っ…

’74年北海道の旅 ー13-

【1974/9/18】 函館から青函連絡船12便に乗り早朝に青森着。 後続の便はと言えば、いわゆるゴールデンコースである。札幌を20時頃発ち連絡船は2便で青森着4時30分。4時50分発の「はつかり」に乗れば上野着13時台というもの。 そのスジに乗って来…

’74年北海道の旅 ー12-

【1974/9/17】 中山峠からバスで札幌駅前に戻る。自分はこの日の夕方に札幌を発ち帰京する予定。 それまでの時間は市内見物でもしようかと考えていた。 前日までは時刻表を首っ引きの計画を立てて行動して来たが、市内観光となると勝手が違う。あやふやな知…

’74年北海道の旅 ー11-

【1974/9/16】 早朝、岩見沢着。 前夜「それじゃ、明日朝に岩見沢のホームで」と言って別れた仲間は、待てどもオロハネ10から姿を現さなかった。 栗丘へ移動のため乗った列車は朝日を受けて進む。車窓からの景色を眺めていると、この列車の機関車と客車の…

’74年北海道の旅 ー10-

【1974/9/15】 前日乗った321レは機関車とともに南稚内に引き上げて泊となる運用だった。 翌朝、稚内へ機関車逆向きで回送され324レとなるので、それを眺めようと南稚内へ出向くと、偶然にも仲間の一人と一緒になった。 稚内への回送はホームに据えら…

’74年北海道の旅 ー9-

【1974/9/14】 紋別から興部の間で撮影できそうな場所が無いのは分かっていたので上興部まで移動した。山に囲まれた静かな駅だった。上下の貨物列車がそれぞれ長時間停車しながら交換するダイヤになっていたので、駅構内の上下側を行ったり来たりと歩き回っ…

’74年北海道の旅 ー8-

【1974/9/13】 急行「大雪5号」は網走行きだが、北見からは機関車を交換してC58牽引の普通列車となることで有名だった。それ故に北見発車を撮りたくて乗り込んだのであり、北見で降りたのだった。 発車まで約30分の時間があったので、駅を出て広い構内…

’74年北海道の旅 ー7-

【1974/9/12】 この日は朝から夕方まで塩狩で過ごす。前夜ここのYHを選んだのはもちろん、朝の322レ狙いだった。 朝飯前に和寒側の駅構内はずれで待つ、一面に霧が立ち込める中を蒸機機関車の吐息とヘッドライトが迫る。ファインダーでもナンバーを読み…

’74年北海道の旅 ー6-

【1974/9/11】 宿を発ち登別からD511120牽引の普通列車に乗り込んだ。メンバーは総勢十数人くらい居たのだろうか。 1番線に225レが進入。 2番線ホームの柱の美しさや味わいのありそうな跨線橋に、あの頃に目が行っていればなと今思う。 苫小牧で…

’74年北海道の旅 ー5-

【1974/9/10】 午前中は白老駅でC57やD51をスナップという超お手頃テツだった。もう少し工夫はなかったのか、いくら何でも北海道まで来てフツーの駅撮りは無いだろうと今、後悔している。 225レ 日中時間帯のD51牽引列車といえばこの225レだ…

’74年北海道の旅 ー4-

’ 【1974/9/9】 いよいよ蒸機撮影となる日。植苗のお立ち台を目指す。 YHからお立ち台へは25000分の1の地図を頼りに歩いた。5~6kmあったろうか、或いはそれ以上か。原野の中の国道をとぼとぼ歩く、途中から植苗方向へ目星をつけた脇道を探して入…

’74年北海道の旅 -3-

【1974/9/8】 旅の3日目、午前中は大沼駅やその先の仁山のほうに向かって歩いてみた。背後に駒ケ岳を望み、ただただ広い原野に北海道に居ることを実感した。 延々と連なるワムの編成。お尻はまだ大沼駅構内を抜けていないようだ。このように遮るものなく全…

’74年北海道の旅 ー2ー

【1974/9/7】 初めての北海道の地は深夜1:35の函館駅連絡船待合室で幕開けとなった。 夜明けまでには時間があるので硬いベンチに横になるが、変な酔っ払いに絡まれないか、誰かに荷物を取られないかと心細い。眠い目には眩しい蛍光灯、潮の香りが混ざっ…

’74年北海道の旅 ー1ー

大学1年の夏休み、北海道へと旅立った。それは何もかもが初めて尽くしの旅だった。北海道はもとより初めての東北以北への旅、しかも13日間という長旅も初めてのことだったし、YHを利用するのも初めてだった。 その旅で乗車した鉄道車両の記録ノートと、ス…

205系500番台

1991年の相模線電化以来30年間活躍して来た、205系500番台がこのダイヤ改正で引退しました。 205系グループの一員ではありますが、特徴的な前面デザインを持つ500番台を与えられ相模線専用で使われてきました。今改正で他線区に転属するこ…

あの頃の上毛電鉄

群馬の上毛電鉄と聞かれればまずは「黄色い電車」を思い浮かべ、次には今の「元京王」と来て、そう言えば「元東武」もあったな、そうそう「元西武」だってあったぞと、代々の車体カラーを思い浮かべます。そんな中の「元西武」の時代だった1985年1月の…

183系ミステリー号

1985年1月、「さよなら183系ミステリー号」というイベント列車に乗車しました。 それまで踊り子号に充当されていた183系が引退し、1985年3月改正で全て185系に置き換わるということでのイベントです。 品川を出発し行先は不明とのことで…

あの頃の田浦駅構内

引き込み線跡とその引込線のダイヤモンドクロスで、趣味誌にも取り上げられることのある横須賀線田浦駅周辺ですが、その引込線が現役であったであろう頃のスナップが出て来ました。 駅名標の向こうに貨物ホームが見えますが、今、ここにはマンションが建って…

初詣は大師線

あの頃の正月の初詣と言えば、川崎大師(平間寺)・・・ではなく京急大師線というのが恒例行事でした。 大師線ホームの先端では容易にスナップ出来ました。2〜3人しか立てませんが、頻繁に発着するので長居する人もなく代わる代わるのスナップです。(その…

遠州鉄道(2)

遠州鉄道30形は、モハ30とクハ80でペアを組んでいました。 車体は2扉でしたので、車内には超ロングシート続いていました。半室運転台であることも判ります。 連結面は広幅貫通路で全周幌という特徴がありました。とても見通しが良いですね。 この日は…

遠州鉄道

1985年の撮り初めは遠州鉄道でした。その日、その場所を選んだことに特段の意味は無かったと思いますが、新年早々の「少し遠目の日帰り鉄」を実行しています。 国鉄浜松駅前にあるはずの新浜松駅は、高架化工事中ということで少し離れた場所に仮設されて…