・・・の思い出
【1979/2/18】 朝、散歩がてら鷲羽山展望台に登り、瀬戸内の多島美を眺める。足元にある瀬戸内海を渡る大橋の完成予想図を見ながら、目の前の風景の数年後の変貌を想像。 展望台から鷲羽山駅への途中、山肌を進む下電をスナップ。 隣の琴海駅寄りに行ってみ…
【1979/2/17】 高松運転所を辞して高松駅に戻る。高松に来たからには琴電にも顔を出さねばと思い、築港駅から瓦町に行ってみた。 120形が到着しホームが賑わう。 すぐさま平木行きで折り返す。 二つ扉の1032は元名鉄3700。いかにもの前面は名鉄時…
【1979/2/17】 高松駅に戻ると急に天気が回復してきたので、高松運転所を訪ねてみることにした。当直助役室を訪ねると、たいそう珍しがってくれてヘルメット着用での見学を許可下さった。 DF50 9 DF50 41 小ぶりのスノウプロウ装備 エアフィルタ…
【1979/2/17】 朝を迎えれば、通勤通学列車が高松へ向けて続々と上って来る中、特急や急行も動き出すオンパレードタイムの到来だ。それらを狙うべく多度津から折り返し、鬼無で下車したのは7時過ぎ。 1D 「しおかぜ1号」 日の出と共に宇和島行きキハ18…
【1979/2/17】 3度目の高松、今回も新幹線と新大阪からの急行「鷲羽」と宇高連絡船を乗り継いでの未明の高松入り。連絡船3便で着くと、4:07発の松山行121レが既に入線していた。 牽引機はDF50572。次位には真新しいマニ50。 121レの発…
県庁前からタクシーで新潟駅に着き、磐越西線に乗り継いで五泉に着いた。蒲原鉄道への乗り換え改札口では乗車証明を配っていた。車庫のある村松は2駅先にあった。 村松に着くと加茂行きの電車(モハ12 昭和5年日車製)が待っていた。村松は中核の駅らし…
新潟の私鉄2路線を初めて訪ねてみようと思って、出かけたのは’79年10月のこと。前夜、上野発の夜行普通列車長岡行き(115系)に乗り込み、早朝の長岡着。信越線に乗り継ぎ東三条から弥彦線で燕に着いたのは6時過ぎだった。 新潟交通全線を乗り通す…
【1979/3/9】 20系寝台を十分に堪能し早朝の小倉着。旅の最終日は、広島に立ち寄って帰ることとしていた。新幹線で広島に降り立ち、まずは駅前で広電のスナップ。 駅前の電車乗場に着いたその時、元京都市電の車両が京都市電そのままの塗装でしかもモール…
【1979/3/8】 九州最後の日は雨模様で明けた。この日は日豊本線の撮影名所として名を馳せた田野に是非とも行ってみたいと出かけた。 しかしながら、趣味誌などでよく見る田野のあの風景への具体的な地理を把握しないままに降り立ってしまったので、思い描く…
【1979/3/7】 西鹿児島から急行「錦江2号」に乗る。この日は日豊本線のDF50を撮りたいと考えていた。霧島神宮で下車。車内からロケハンした田園地帯でスタンバイする。 狙いは上り8レ「富士」。その通過時刻まで急行や普通DCで練習だ。カメラは85…
【1979/3/6】 加世田から伊集院経由で西鹿児島に戻る。 天文館やいずろ通りを散策し、桟橋から桜島に渡ってみたが観光する気も無くすぐさま折り返す(テツ旅の観光はこんなもの・・・か)。鹿児島駅前から市電に乗って谷山まで往復してみた。途中、郡元から先は…
【1979/3/6】 急行「かいもん5号」では12系座席車に身を委ねた。 西鹿児島に朝6時過ぎに到着。すぐさま6時46分発で伊集院へと折り返す。伊集院から2分の待ち合わせで鹿児島交通の100形に乗り加世田へと向かった。国鉄キハ07タイプのこれは西鉄…
【1979/3/5】 長崎から福岡・甘木に向かうべく急行「出島2号」で佐賀へ。 4005レ「みずほ」 佐賀駅は新幹線型高架駅になっており味気ないものだった。 佐賀線の瀬高行きの普通DCに乗り換えて筑後柳河で下車。途中筑後川昇開橋を渡った際、昇開作業の係員だ…
【1979/3/4】 島原鉄道で諫早に着き、急行「雲仙」に乗り変えて長崎に来た。熊クマの14系だったが車内にはゴミが散らかり、如何にも「夜行明け」という澱んだ空気が、その雑然とした車内に漂っていた。 一日乗車券を購入して市内を巡り、最後は浦上車庫に…
【1979/3/3~4】 三角から島原の港に着き、まずは外港駅に寄ってから、南島原の車庫を訪ねた。 5502 2002 4502 国鉄への乗り入れを行っており、車両もまさに国鉄そのものの「キハ55」「キハ20」だ。国鉄車との区別のためだろうか「ひげ」付…
【1979/3/3】 熊本から三角線に乗り、有明海を渡って島原へ向かう日。宿から市電に乗って国鉄熊本駅へと出向いたが、ほとんどカメラを向けないまま三角線に乗り込んでしまったようで、僅かにこの2カットのみしか残していない。 1005M 581系 特急「有…
【1979/3/2】 藤崎宮前から上通を抜けて通町筋に出た。 定番の熊本城バックをスナップ。 熊本城寄りに移動して振り返れば繁華街バック。 5011 市役所前 夕方になり連接車が出動してきた。「暖房電車」の掲出が面白い。裏返すと、ヒーター等の暖房装置を…
【1979/3/2】 前日午後の新幹線で東京を発ち、新大阪から夕方に発車する14系座席車で組成された急行「阿蘇」に乗り、定刻に上熊本に着いた。 直ぐに接続する熊本電鉄の電車に乗り北熊本へ、北熊本でも菊池行きが直ぐに接続した。車窓をロケハンしながら一…
【1978/9/16】 陸前高田から8時過ぎの一ノ関行に乗り込む。編成にキハ26の400番台が2両組み込まれていたので、当然のように乗り込む。一ノ関までは小刻みなカーブが連続するためか、山間地は勿論平地でも速度が上がらず、のろのろと2時間以上要した。ル…
【1978/9/15】 この日は宮古から三陸海岸沿いを南下して陸前高田まで行く。 朝一番で宮古局に寄って風景印を求める。そのあと駅前からバスに乗って浄土ヶ浜を観光。 どんよりと沈んだ天候のせいもあり、空も海もグレーに染まっていて、うら寂しい感じがした…
【1978/9/14】 弘前から8:11発の普通列車で大館へ向かう。大館へは後続の急行が先着するが、客車の旅のほうが味があると思い選んだのだった。大館の手前でその急行と特急「いなほ」の通過待ちで30分停車した。 1695レ 陣馬 キハ26 21 大舘 同和鉱業の…
【1978/9/13】 弘前発8:07分の五能線に乗り込む。編成にはオハユニ61が連結されている。 鉄道郵便局乗務員氏の様子を見ると、積込作業もひと段落したようだったので、日付印の記念押印を頼んでみると快く応じてくれた。 弘前から1時間ほどで五所川原…
【1978/9/12】 前日の疲れか、寝坊してしまって予定の列車に乗れず、1時間あとの急行「十和田2号」に乗車して青森に向かう。急行十和田は最近20系化されており、ナロネ21をハザ化したというナハ21に乗車した。 この号車は、盛岡から自由席扱になって…
【1978/9/11】 前夜は上野発青森行きの急行「八甲田」のオハ47の座席で夜を明かし、定刻の5:35に野辺地に着いた。 これから東北の私鉄巡りに旅が始まるところであるが、まずは青森を目指して野辺地にこれから続々と到着する寝台特急や急行を見ておこう…
君ヶ浜の4種踏切を眺めながら次の列車を待つ間、ふと脳裏をよぎった。 「初めて銚子電鉄に乗ったのは、遠い昔の5月のちょうど今頃、そうかあれから50年か」と。 前日に新歓コンパと称する1泊イベントで飯岡の宿に泊まり、翌日にサークルの皆と犬吠埼を…
あの頃のホームの情景を追ってみる。 国分寺線ホームから中央線ホーム、そしてその向こうには旧下河原線ホームが見える。ホームには灰皿が備え付けられ、そこここで立ち上る紫煙は当たり前だった。 あの頃、特別快速は停まらなかった。狭い島ホームは通過電…
国分寺駅構内跨線橋からの眺めを振り返る。 中央線ホームへは北口と南口それぞれから跨線橋を渡って行く。立川方の跨線橋から東京方向を見下ろすと、ホーム2面が見えるが手前は中央線の1面2線。奥のホームは西武国分寺線の1面1線である。 こちらは同じ場…
中央線国分寺駅は2面4線のホームを有し特別快速も停車するので、緩急接続も行われるダイヤ上でも主要駅である。橋上駅構造となっており駅ビルが併設され、乗降客や買い物客の利用が多い駅であるが、30数年前までは東京郊外の長閑な駅という風情だった。 …
6月の声を聞くと思い出すのが’74年の会津への旅のこと。調べてみると今年(2024年)と昭和49年(1974年)は曜日回りが同じと判った。 50年前のきょう6月14日(金)、品川駅で購入した「福島・会津磐梯ミニ周遊券」を手に上野から夜行急行…
去る6月1日で開業50周年を迎えた小田急多摩線ですが、当初は新百合ヶ丘~小田急永山間の開業でした。 (1974/6/30 新百合ヶ丘) 新線でありながら旧式の1900形電車が走るというアンバランスでした。 (1974/6/30 小田急永山) 開業間もない頃、鉄道…