線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’75年 西への旅 ー4-

【1975/2/23】

 朝から快晴、絶好の撮影日和となった。

 まずは八幡駅で確認するとダイヤ乱れは続いているようで、下り寝台列車群は3~4時間の遅れとあった。

 八幡のカーブに出向くと、とっくに通過しているはずの「きりしま」がやって来た。その後も次々とブルトレが来る。寝台車を連ねた急行列車が来る。それらを牽くのは赤い電気機関車だ。普段は青い直流電機しか目にしない自分には、目の前の光景すべてが魅惑的だった。

7M「きりしま」 京都発西鹿児島行き                                                (1975/2/23)

 所定では朝まだ暗い4時半ころに通過するはずの「きりしま」が来た。581系12両編成だ。

ED73 1022                                    (1975/2/23)

赤い電機しかも前面の「くの字」スタイルに思わずスナップした。

205レ 急行「西海1号」                          (1975/2/23)

所定では6時頃に通過するはずの、佐世保行き「西海1号」がED72牽引で来た。

ハザ、Bネ、Bネ、Aネ、ロザ、Bネ、Bネ、ハ・・・という豪華な編成。

1018M 上り「つばめ3号」 熊本発岡山行き           (1975/2/23)

同じ立ち位置で右を向いて下り列車を、左を向いて上り列車をスナップ。

軒並み遅れて来る下り夜行列車に対して、上り列車はほぼ所定どおりだったか。

209レ 急行「天草」                       (1975/2/23)

 所定では7時ころ通過するはずの、熊本行き「天草」が来た。筑豊本線経由となるためのDD51牽引である。中小都市をカバーする急行列車ならではの運行経路と思う。

 この時は、来るもの来るものをただスナップしただけであったが、今思えばこんな豪華編成しかもDD51牽引となれば、筑豊本線内でも撮っておくべきだったか。

 

 長居をしているとブルトレを牽くEF30を見られなくなると思い、手頃なところで切り上げて門司へ向かおうと駅へ歩き出したら「月光2号」が通過して行った。

 

 門司では「はやぶさ」が12時に「みずほ」が12時20分にと、遅れに遅れて到着した。その間には急行「青島」が入って来た。前面には大きな四角いヘッドマークが付いており、それは初めて目にする形状だった。門司港発の編成と広島発の編成が合体する様子を眺めた。

EF30の4重連単機なども目にした。           (1975/2/23 門司)

403D 急行「青島」は広島発日豊本線経由の西鹿児島行き。ここ門司では門司港発の編成と併合する。

※今回アップに際し、画面右の下り勾配に気が付いた。果たして何?どこへ?と大分の転轍器さんに照会すると、この先門司機関区の地下を通り操車場へと向かう線路とのことだった。

 

 前日から小倉、戸畑、八幡を行ったり来たりしているうちに、戸畑駅から若戸大橋が見えることに気が付いた。駅の背後の高台に上れば若戸大橋をバックに列車が撮れそうだと思いチャレンジしてみることにした。

 戸畑駅を降り、西鉄北九州線の踏切を越えたあたりから坂道の路地を上ってみた。丘の斜面には民家が沢山立ち並んでいる。ようやく視界が広がる場所に辿り着いたが、そこはひと様のお宅の玄関先だった。

 手前に線路、奥に真っ赤な若戸大橋、そして視界を埋め尽くす工場群。見とれてしまう景色だが、ここでの長居は失礼だし、不審者と思われても怖いので30分だけお邪魔した。

前後のコマから、門司港発原田行き1741レと推察。                        (1975/2/23)

 標準と135mmしか持ち合わせず、この中間の85mmなどがあれば違う画角になったと思うが、そのレンズを手にしたのは数年後だった。(笑)

 30分の間に遅れの「あさかぜ」や島原鉄道乗り入れのDCを併結した急行なども目にすることが出来た。

 

 山を降り今度は北九州市内線そして筑豊電鉄線に乗ってみた。北九州市内線電車はボギー台車1両であるが、筑豊電鉄の電車は連接台車の2両編成となっている。しかし筑豊電鉄車は北九州市内線に乗り入れているので、外見上の両線は一体化しているようにも見えた。

 駅前の本屋で、日付からすると発刊されているはずの鉄道月刊誌を探したが見当たらなかった。販売日が東京よりも遅いのか、扱いそのものが無いのか、はたまたこの雪で運送が遅れているのか、ちょっと残念だった。この日も北九州YH泊。

YHのある帆柱山から眼下を眺める。

同じ日本を代表する工業地帯だが、京浜工業地帯とは全く異なる地形が広がっていた。