線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

「能登路」を付けたキハ28撮影会

 さきの能登半島地震で大きな被害を受けた「のと鉄道」の復興支援ということで、いすみ鉄道のキハ28に急行「能登路」のHMを掲げた撮影会が3月に行われた。

 急行「能登路」のHMを下げDMH-17エンジンのアイドリング音を響かせるキハ28と、同じく「能登路」を掲げたキハ52のツーショット。この日のメインイベントだ。

 こちらキハ52も疲れが見えているようだが、能登路のHMも凛々しく急行仕業に就いていた。この3月改正では急行列車自体が廃止され、キハ52も臨時運用のみとなってしまったのが寂しい。(「52」を「28」を導入し、様々な施策を展開して行ったあの時の熱量は今いずこ・・・。)

 撮影会では様々なHMが取り付けられて、大いに目を楽しませてくれた。大昔、高松駅で鬼無のカーブで出会った「いよ」を始めとした、四国の急行列車群を思い出す。

 房総の大型HMも掲げられた。キハ28の入線当初は何度か訪れたものの、その後ご無沙汰していた間に各種HMを掲げて運行されていた。よって、この大型HMは初めて目にする。

 午後になり時折日が差すようになると、急行色が一層引き立って見えた。静かに余生を送るキハ28が後輩にエールを送っているかのように思えた。

 ショーの終幕近く、青空がぐっと広がると、石川・能登のどこかの線路端で、急行「能登路」に出会っているかのようなシーンとなった。

(2024/3/2)

坂城駅

 しなの鉄道坂城駅に行って来た。

 木造駅舎が健在ではあるものの、新建材で改築された様子が窺える。アルミサッシの白さが目立ってしまっている。

 駅名標の看板は2つ。

 この駅にはオイルターミナルがあり、JR貨物のオイルタンカー列車が乗り入れて来る。構内の入換え作業用のL字型DLが待機していた。

 構内側線には169系3連が保存されており、本線を行く列車とのツーショットも可能。

 この169系S51編成(クモハ169-1+モハ168-1+クハ169-27)は2013年に引退し、その年からここに安住の地を得ているとのこと。軽井沢方の先頭車クハ169-1は大型ヘッドライトのままでもあるのが嬉しい。

 盆地を囲む山肌には先日来の雪が残り、早春の信濃路を快走する急行列車の思い出が蘇りそうだ。

(2024/3/1)

高尾発長野行き

 3月のダイヤ改正で中央線篠ノ井線経由の高尾発長野行きが消え、大月発に姿を変えた。高尾駅の発車案内から長野の文字が消える前にとスナップしてみた。

 中央線下りの発車案内に長野、大月、小淵沢と続く。大月行き10両は233系だ。

 オレンジラインの233系が見える駅の発車案内に長野の文字。

 4番線長野行きのあとには回送(松本発高尾行きの到着)を挟んで東京行きが発車する。同じホームの発車案内に長野と東京の文字が並ぶのも見納め。

 高尾駅駅名標に送られて長野の幕が去っていく。

(2024/2/27)

保谷にて

 西武線保谷駅に隣接した広大な旧保谷車両管理所敷地のはずれに、シートをかぶったままの車両らしきものがあることに気付いたのは昨年のこと。そのシートが外されて、車両の姿が見えるようになったとのネット情報を、この2月に拝見し出かけてみた。

 5号蒸気機関車とE12電機機関車。

 5号蒸気機関車は川越鉄道が発注したウィルソン製であり、西武鉄道に引き継がれたとの事。

 E12蒸気機関車武蔵野鉄道が発注した、ウェツシングハウス製E11型として導入した4両の内の1両。

 

※公道からの撮影が可能だったが、背の高いフェンスに囲まれているので、バンザイ姿勢をとりつつそれなりのファインダーを有する機材が必要だった。

(2024/2/19)

洗馬にて

 南松本発の上り貨物列車(8872レ)を待ち受ける。

 本屋から張り出した屋根が気になり、敢えてここで待ち受けた。列車は特急「しなの」の退避のため、2番線に進入して来たのだった。

 機関車の停止位置は中津川方のずっと先だった。追いかけて行ってスナップする。

 「しなの」が本線を高速で通過した数分後、原色のロクヨン重連が木曽谷に向けて発車して行った。

(2024/2/13)

洗馬駅

 昨年夏、宮ノ越駅の訪問時にここ洗馬駅もと考えたが、普通列車の本数の少ない中央西線では掛け持ち出来なかった。

 今や貴重な木造駅舎。玄関扉や窓は残念ながらサッシ化されているものの、無粋なアルミ地色枠でないのが嬉しい。

 出札窓口や小荷物受付窓口は壁で塞がれていたが、僅かにカウンターだけが残されており、優雅な支柱が残っていた。

 ホーム上屋を複雑に組まれた柱が支えている。良く見ると、寺社でみるような優美な木組みがされていた。

 本屋に続いて優美な屋根が張り出している。駐輪場化しているが、そもそもは小荷物置場でもあったのだろうか。

 「中央西線」や「洗馬」の字句を高校生の頃の鉄道趣味誌記事で目にしていた。当時、ここに立つことが出来ていたならば、今、軽快な電車が停まっているその場所には、D51に牽かれた客車列車が居たのだろうと思いを馳せる。

 普通列車の松本行きが入線して来た。それは、自分の妄想を断ち切るかのような、JR東海の軽快な電車だった。

(2024/2/13)

南松本にて

 ダイヤ改正前の2月、久しぶりに南松本へ行ってみた。いつも通りの公道側駐輪場脇のほか、駅に隣接した駐車場からもスナップ出来るようになっていた。以前はエレベータ設置工事の資材置き場で立ち入り出来なかったと記憶している。

 至近からの前面アップ。厳めしいツララ切がカッコイイ。

 重連の連結面をアップする。

 次位機の前面ガラスに冬の陽射しが差し込む。

(2024/2/13 8084レ)