線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’74年北海道の旅 ー10-

【1974/9/15】

 前日乗った321レは機関車とともに南稚内に引き上げて泊となる運用だった。

 翌朝、稚内へ機関車逆向きで回送され324レとなるので、それを眺めようと南稚内へ出向くと、偶然にも仲間の一人と一緒になった。

 稚内への回送はホームに据えられ発車を待っている。かつての流線形時代を偲ばせるキャブ周りが目を惹く。

オロハネ10を組み込んだ急行「利尻」の入換え作業を目にすることも出来た。

 

 スナップのあとは、その一人と共にC5530牽引の324レに乗り込み、前日に続いての蒸機牽引列車の旅を味わいながら音威子府に向かった。途中駅で交換列車待ち合わせのアナウンスを聞くと、急いで客車を降り機関車脇に走って対向列車をスナップするなど楽しい時間を過ごした。

下沼   1391レとの交換

幌延   キャブ下あたりに形式の書かれた停車位置目標があった。今回アップに際しこれまでずっと気に留めていなかったこの位置が、例の本線上のピットではないかと推測出来るようになった。

幌延   塩狩で、そして宗谷本線に入ってからの2日間ともにシゴゴサンマルに会えたことは運に恵まれたと思う。

 

 音威子府に着き、324レの出発を見送ったあと、駅前の食堂で食事していると、なんと同じサークル仲間の2人が入って来た。

 前日は豊富に泊まったとか。広い広い北海道のこんな駅前食堂で、仲間4人が事前の申し合わせの無い中での遭遇とは面白いと思った。

音威子府を発車する324レ

筬島-音威子府  駅から少し歩いた天塩川に架かる橋に来てみたが、そこは真新しいコンクリート橋だった。前日の乗った321レのこの日はC5787の牽引だった。

 

 この日の夜は夜行急行「利尻」に乗ることだけは決めていた。思案の末、朝から一緒だった彼と天北線に乗り稚内に戻ることにし、2人連れの仲間とはここで別れた。途中幾つかの駅で普通DCや9600牽引の貨物列車と交換しながら北上した。

敏音知   726D(キハ22 20+キハユニ25 7)

中頓別   1790レ

 

 夕方過ぎ、曲渕あたりだったろうか列車の窓越しに夜空を見上げると天の川が広がっていることに気が付いた。東京の夜空では決して見ることの出来ないような、くっきりとした記憶に残るシーンとなっている。

 その夜※は稚内から急行「利尻」の座席車に乗り込んだ。終日一緒だった仲間の一人は寝台車オロハネ10の普通寝台に消えた。

 

※今思う事、それは夜のカットを撮ってあればなぁ、ということ。今ならば当然バルブ大会三昧だったはず。しかし当時は夜に撮ることは全く考えていなかった。そもそもTXフィルムを知ったのは旅行から帰ったあとであり、旅行中はSSフィルムオンリーだった。夜にカメラを出すことなど考えても居なかった。バルブ撮影の想定も無かったので三脚自体を持っていなかったと思う。

最北端?と思ったが、「駅」ではなく「地」とあった。間違っていない・・・。

「交換列車の待ち合わせで〇〇分止まります。」

このアナウンスと共に改札口に走り、入場券を買い、スタンプを押す。

あの頃の旅の思い出です。