線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

・・・の思い出

’74年北海道の旅 ー5-

【1974/9/10】 午前中は白老駅でC57やD51をスナップという超お手頃テツだった。もう少し工夫はなかったのか、いくら何でも北海道まで来てフツーの駅撮りは無いだろうと今、後悔している。 225レ 日中時間帯のD51牽引列車といえばこの225レだ…

’74年北海道の旅 ー4-

’ 【1974/9/9】 いよいよ蒸機撮影となる日。植苗のお立ち台を目指す。 YHからお立ち台へは25000分の1の地図を頼りに歩いた。5~6kmあったろうか、或いはそれ以上か。原野の中の国道をとぼとぼ歩く、途中から植苗方向へ目星をつけた脇道を探して入…

’74年北海道の旅 -3-

【1974/9/8】 旅の3日目、午前中は大沼駅やその先の仁山のほうに向かって歩いてみた。背後に駒ケ岳を望み、ただただ広い原野に北海道に居ることを実感した。 延々と連なるワムの編成。お尻はまだ大沼駅構内を抜けていないようだ。このように遮るものなく全…

’74年北海道の旅 ー2ー

【1974/9/7】 初めての北海道の地は深夜1:35の函館駅連絡船待合室で幕開けとなった。 夜明けまでには時間があるので硬いベンチに横になるが、変な酔っ払いに絡まれないか、誰かに荷物を取られないかと心細い。眠い目には眩しい蛍光灯、潮の香りが混ざっ…

’74年北海道の旅 ー1ー

大学1年の夏休み、北海道へと旅立った。それは何もかもが初めて尽くしの旅だった。北海道はもとより初めての東北以北への旅、しかも13日間という長旅も初めてのことだったし、YHを利用するのも初めてだった。 その旅で乗車した鉄道車両の記録ノートと、ス…

205系500番台

1991年の相模線電化以来30年間活躍して来た、205系500番台がこのダイヤ改正で引退しました。 205系グループの一員ではありますが、特徴的な前面デザインを持つ500番台を与えられ相模線専用で使われてきました。今改正で他線区に転属するこ…

あの頃の上毛電鉄

群馬の上毛電鉄と聞かれればまずは「黄色い電車」を思い浮かべ、次には今の「元京王」と来て、そう言えば「元東武」もあったな、そうそう「元西武」だってあったぞと、代々の車体カラーを思い浮かべます。そんな中の「元西武」の時代だった1985年1月の…

183系ミステリー号

1985年1月、「さよなら183系ミステリー号」というイベント列車に乗車しました。 それまで踊り子号に充当されていた183系が引退し、1985年3月改正で全て185系に置き換わるということでのイベントです。 品川を出発し行先は不明とのことで…

あの頃の田浦駅構内

引き込み線跡とその引込線のダイヤモンドクロスで、趣味誌にも取り上げられることのある横須賀線田浦駅周辺ですが、その引込線が現役であったであろう頃のスナップが出て来ました。 駅名標の向こうに貨物ホームが見えますが、今、ここにはマンションが建って…

初詣は大師線

あの頃の正月の初詣と言えば、川崎大師(平間寺)・・・ではなく京急大師線というのが恒例行事でした。 大師線ホームの先端では容易にスナップ出来ました。2〜3人しか立てませんが、頻繁に発着するので長居する人もなく代わる代わるのスナップです。(その…

遠州鉄道(2)

遠州鉄道30形は、モハ30とクハ80でペアを組んでいました。 車体は2扉でしたので、車内には超ロングシート続いていました。半室運転台であることも判ります。 連結面は広幅貫通路で全周幌という特徴がありました。とても見通しが良いですね。 この日は…

遠州鉄道

1985年の撮り初めは遠州鉄道でした。その日、その場所を選んだことに特段の意味は無かったと思いますが、新年早々の「少し遠目の日帰り鉄」を実行しています。 国鉄浜松駅前にあるはずの新浜松駅は、高架化工事中ということで少し離れた場所に仮設されて…

或るイベント列車

1984年10月のこと、鉄道記念日のイベント列車が走りました。旧客に乗って上野から日光まで往復するというもので、牽引機は当時既に希少となっていたEF58の89号機であると募集案内にも記されていました。 自分は「乗る」よりも「撮る」ほうですが…

京王2000系、2010系

京王線は馴染が薄くほとんどカメラを向けずにいましたが、そんな中の1983年10月にはどういう訳か北野で緑の電車をスナップしていました。 デハ2023 デハ2007 共に湘南顔の緑色電車、おでこのナンバーからすると2000形とでも言うのかなと、…

101系行楽列車

「思い出」と大見得を切るほどの無い単なるスナップですが・・・。 1981年10月、ちょっと面白い列車を見かけました。 (高尾) 方向幕は「臨時」ですが、立派なHMが付いています。良く見ると「高尾−相模湖」の文字。そう、その一駅間だけの臨時列車…

小野田線本山支線

1980年10月、山口線の重連運転に出掛けた際、ずっと気になっていた小野田線本山支線のクモハ42を訪ねることとしました。 旅の目的としてC57&C58重連と同じくらいの比重をかけて雀田駅に着き、さあ憧れのクモハ42に対面!と思ったのも束の間…

長野国体お召列車

1978年10月、テツにとっての大イベントが控えていました。それは長野国体開会式出席のため、昭和天皇のお召列車が原宿〜長野、長野〜松本、松本〜原宿に運転されるというものでした。 初日は原宿〜高崎がEF5861、高崎〜長野がEF62の牽引と聞…

武蔵野線延長開業日

1978年10月、いわゆるゴーサントウ・ダイヤ改正により武蔵野線の新松戸〜西船橋間が延長開業となりました。 これにより新八柱、市川大野、船橋法典の3駅が開業しています。当日はオレンジ色101系に装飾を施した祝賀列車が運転されました。 (市川…

東急つきみ野開業

1976年10月、東急田園都市線のすずかけ台〜つきみ野間が延長開業となりました。 デコレーションを施した祝賀列車が入線して来ました。ホームに居並ぶスーツ姿のオジサン方が、いかにも式典間近を思わせます。 神主さんのお清めのあとテープカットとな…

相鉄厚木操での

1975年10月、相鉄線の厚木操車場で鉄道友の会による新鋭7000形の撮影会が行われました。 ここを訪れたのは1970年の2100形撮影会以来の2回目です。小田急線をオーバークロスし、小田急の海老名検車区を横目にしながらここに至ると右手には…

隔世の感 総武流山電鉄

これまで「9月」をキーとしてテツの振り返りをして来ましたが、これからは「10月」のテツを振り返りたいと思います。 1974年10月、総武流山電鉄に出掛けました。常磐線の馬橋から出ているミニ鉄道というだけの認識で、いざ出かけてみると古典的・古…

SSE「おおいがわ」

元小田急SSEが大井川鉄道に転じた際は大きなニュースでしたね、早速会いに行ったのは1984年9月のことでした。 (新金谷) 転入にあたっては短編成されることなく5両編成のままお輿入れとなりました。さて新金谷で待機するSSE君、隣に並ぶ古ぼけ…

可部線73形

1983年9月、岡山・広島の旅をする中でちょっとだけ可部線に立ち寄りました。当時の可部線電化区間は73形の運用でした。 なにもわざわざ広島まで来て73形?とも思うのですが、それ以前の北陸の旅で富山に赴いた際に、富山港線の73形を無視(富山ま…

3度目の渡道

1982年9月、自身3度目の渡道でしたが、なぜか鉄分の薄いものでした。勿論、鉄道と連絡船で函館に渡り、道内も鉄道利用で道央・道東を周っていたのですが、観光地巡りばかりで鉄道のスナップがほとんどありません。 そんな中、札幌から網走に向かう急行…

箱根登山1000形の晴れ姿

1982年9月、この年のブルーリボン賞を箱根登山1000形が獲得し、その受賞記念列車が走りました。 それまで旧型車ばかりの箱根登山線に入線した1000形は、ロマンスカー色に準じた塗装でシックな装いでしたが、前面や側面の大きな窓は見た目にも眩…

妙見口

能勢電鉄の山下から終点の妙見口に来てみました。そこに広がる長閑な里山の風景は、「これが大阪近郊?」と思うような意外なものでした。 色づき始めた稲穂が美しい。 里は彼岸花の季節 用水に架かる小さな橋と線路の向こうにお屋敷がある農村風景。 あれか…

能勢電鉄

1981年9月、関西の私鉄各社を見て回っていました。と言っても普段から馴染がなく各社の詳しいことは判りません。とりわけ中小私鉄となると、どんな車両が居るのかさえ知らないままでの訪問でした。 大阪からほど近く、阪急宝塚線から乗り換えて行ける能…

東海道・横須賀別線化前

1980年9月、その年10月1日のダイヤ改正では横須賀線電車が東海道旅客線から旧貨物線を走ることとなるため、旧貨物線では乗務員の習熟運転が頻繁に行われていました。 新子安のホームで見ているとスカ色113系の4連や湘南色167系などが行き来し…

加悦鉄道

1979年9月、山陰を旅する中で加悦鉄道に立ち寄りました。豊岡からの宮津線に揺られて丹後山田に着くと、迎えてくれたのは元国鉄キハ08タイプでした。 検査上がりなのでしょうかピカピカの状態です。当日は残暑を思わせる気温でしたが、既に秋空が広が…

クハ改造客車

当日の記録には、五所川原から金木までナハフ1202に乗車とあります。 これは下車後のスナップと思いますが、車内のスナップもなく記憶が定かではありません。 次のコマではこのようにDLが付いていますので、この間に何らかの入換え作業があったと思わ…