2024-01-01から1年間の記事一覧
ツアー途中で弘前市内に宿泊した。中央弘前駅が近くにあると判ったので夕食後にひとりでテツ散歩する。 ホテルから5分ほど、19時台というのにひっそりとした駅前に辿り着いた。 一文字ずつの行燈式駅名標。オレンジ色に黒文字が引き立つ。 改札口からホー…
8月に東北夏祭りを鑑賞したばかりだけれど、今度は東北の紅葉を鑑賞するツアーに参加した。 行程の途中、五能線に30分ほど区間乗車することになった。一般客との混乗だがツアー客もほぼ座席を確保する中、自分はひとり先頭カブリツキへ行く。 乗車したの…
基本的には東北線を北へと向かうことが多いカシオペア紀行だけれど、ごく稀に中央線を下ることがある。今回数年ぶりに多摩川を渡る、しかも日中時間帯ということでイソイソと出かけた。 いつものとおり立川市側の河川敷で待ち受けた。ところがそれまでの薄日…
ここを通過する度に、古レールの支柱が美しい上屋だなと思っていた下諏訪に初めて降りた。 本屋側上りホームは優雅なカーブを描く「Y字」が整然と並んでいる。 都内では意識しない「中央東線」の名称だが、信州のこの辺りでは「中央西線」との区別が必要なの…
それは昨年夏のこと、塩尻への途中何気なく眺めていた車窓に「2459列車」と書かれた標識が一瞬飛び込んで来たのだった。 2459レと言えば何度かカメラを向けた記憶がある列車だ。以来「あれは何なのか停目なのか。何で今なお残っているのか」と、ずっ…
飯田線伊那松島駅から徒歩10分ほどの、箕輪町郷土博物館敷地内に保存されているED19の1号機を訪ねて来た。昨年夏に訪れたものの、博物館の改修工事中で見学出来なかった同機である。 道路から敷地への階段を上がると、端正な姿の同機が柔らかな光線に…
中央線から飯田線への乗り換えで岡谷に降り立った。 毎度のことながら岡谷と言えばこの琺瑯だ。 上りホーム中ほどのコレ、上屋が改修工事中にもかかわらず未だ健在なのが嬉しい。 上諏訪発の豊橋行きが入線して来た。その入線するホームにも琺瑯があれば良か…
孫を連れての二子玉川に所用があり、時間繋ぎに宮崎台の「電車とバスの博物館」にちょこっと寄ってみた。 この博物館がまだ高津駅高架下にあった頃、息子を連れて行って以来の30年ぶり。 ぺこちゃん200形が迎えてくれた。 ぺこちゃん自体に遭遇したこと…
【1979/2/18】 朝、散歩がてら鷲羽山展望台に登り、瀬戸内の多島美を眺める。足元にある瀬戸内海を渡る大橋の完成予想図を見ながら、目の前の風景の数年後の変貌を想像。 展望台から鷲羽山駅への途中、山肌を進む下電をスナップ。 隣の琴海駅寄りに行ってみ…
【1979/2/17】 高松運転所を辞して高松駅に戻る。高松に来たからには琴電にも顔を出さねばと思い、築港駅から瓦町に行ってみた。 120形が到着しホームが賑わう。 すぐさま平木行きで折り返す。 二つ扉の1032は元名鉄3700。いかにもの前面は名鉄時…
【1979/2/17】 高松駅に戻ると急に天気が回復してきたので、高松運転所を訪ねてみることにした。当直助役室を訪ねると、たいそう珍しがってくれてヘルメット着用での見学を許可下さった。 DF50 9 DF50 41 小ぶりのスノウプロウ装備 エアフィルタ…
【1979/2/17】 朝を迎えれば、通勤通学列車が高松へ向けて続々と上って来る中、特急や急行も動き出すオンパレードタイムの到来だ。それらを狙うべく多度津から折り返し、鬼無で下車したのは7時過ぎ。 1D 「しおかぜ1号」 日の出と共に宇和島行きキハ18…
【1979/2/17】 3度目の高松、今回も新幹線と新大阪からの急行「鷲羽」と宇高連絡船を乗り継いでの未明の高松入り。連絡船3便で着くと、4:07発の松山行121レが既に入線していた。 牽引機はDF50572。次位には真新しいマニ50。 121レの発…
新京成シロートの自分が持つそのイメージは、「京成のお古の電車が走っていた」「前面2枚窓の電車でクリーム色の車体に茶色の帯」というだけ。 今回、そのクリーム色と茶色の帯が復活したというので、是非見てみたいと繰り出したのが線路沿い歩きのそもそも…
2025年春の京成電鉄への吸収合併で社名消滅という新京成線。地域的に馴染もなくシロートの自分は、先月初めて乗り通したばかり。 走る電車の具体的な形式も未だ知らないので、そこで今回は沿線を歩きながらスナップしてみようと八柱駅に降り、常盤平のほ…
宇都宮の駅東公園にて保存会の皆さまの手により静態保存されている、EF57の7号機が一般公開されると聞いて出かけて来た。 普段は柵越しでしか眺めることが出来ないけれど、間近に寄ってのスナップは迫力十分。 敷地内がきれいに整備されたほか、ナンバ…
創業〇周年、開店〇周年等々おめでたい限り。 鉄道の開業〇周年も同様なのだが、110年、135年となると「そんなに刻まなくても」と思ったりもする。だって、イベント自体もそれほど盛り上がっているようでもないし・・・。と。そんなことを思っていたら…
駅舎の入るこのビルは何だろうと降りてみた。 アーチ状に並んだアルファベットと緑色の漢字で書かれた駅名がなんともお洒落。1階は店舗でその上はマンションのように見えるが、薄茶の落ち着いた色合いは病院や介護施設のような佇まいに思えた。 歩を進めて…
終点の大雄山に来てみると急な雨模様。 三角屋根の駅舎は昔のままだった。駅舎脇には「市登録有形文化財」の碑が立っている。 以前は、この駅舎前から道了尊行きのバスが出ていたと記憶していたが、少し離れた場所にターミナルが出来ていて、そこから発車し…
久しぶりに大雄山線に乗り五百羅漢駅に降りた。この駅に降りるのは初めてと思う。というのも「アレ」を見つけたよと、途中下車さんに教えられてのこと。 駅の近くには、その名の通りの五百羅漢寺がある。 これまで何度か乗っている大雄山線だが、未だにコレ…
自分にとって馴染みの薄い新京成線、今回乗ったのも2度目の話。前回乗ったのは1979年3月のことだ。 1979年3月9日 北総開発鉄道が小室~北初富間で開業し、北初富から新京成線を経て松戸まで乗り入れを開始した。 その様子を見てみようと松戸から新京成車に…
大型スーパー(本年9月末閉店)が駅ビルになっている新津田沼駅。堂々たる構えだ。 松戸方面行きホームに「0キロ」ポストが鎮座していた。ということは、この駅が起点で松戸方、京成津田沼方へと路線が延びているということか。 新津田沼~京成津田沼間は…
かつての鉄道連隊の線路跡地の多くの部分が、新京成線となっているのはご存じの通り。 八柱駅の近くに「陸軍」と記された石標があった。鉄道連隊の用地境界を示すものだ。 その2文字が戦後80年の風雪に耐えていた。 鉄道連隊の蒸気機関車が新津田沼駅近く…
京成電鉄の子会社である「新京成電鉄」が、2025年4月1日を以て京成電鉄に吸収合併されるという。電鉄会社名がひとつ消滅するというのも寂しいものがある。 「新京成」の文字を追ってみた。 松戸駅のJRから新京成への乗り換え改札。「新京成線のりば」 新…
先般、武蔵野線新三郷駅前の大型商業施設にて保存展示されている、夢空間の2両を清瀬市が譲受し市内にて保存して行くとのアナウンスがあった。単なる移設ではなく、しっかりと補修の上保存と展示をして行くべく、活用方策を検討しているようなので期待が持…
10月13日(日)運行初日の朝、ネット情報を拝見すると午前中には早速青梅まで入線するようなので、いそいそと見物することに。 ついにこの日が来たか!12両編成の表示。 ホームにはグリーン車乗車口の案内。2階建て車両が入って来た。 青梅線をダブル…
当初の計画発表では既に営業運転しているはずだったが、社会情勢の変化で車両製造が滞ってしまい、今般ようやく出そろったらしい中央線0番台用のサロE233。そのお披露目会が、この夏に立川駅2番線ホームで行われた。 しかしながら、これまで日中の試運…
前夜、秋田竿灯まつりを鑑賞しその夜に投宿したのは大曲の駅前だった。翌朝も出発が遅めだったので、駅に出向いてスナップしてみた。 2011年にも法事で訪れている大曲駅だが、その時は列車をスナップする時間は無かった。 東京駅で眺める時は特段なんと…
大館を発ち、弘前へとツアーが進んだ。この日はまず弘前レンガ倉庫美術館に寄るとのこと。弘前は20代の頃に訪れていて宿泊もしている。そんな弘前市内に入り、バスの車窓に目を凝らしてみたが46年前の情景を思い出すことは出来なかった。 そんな中、単線…
広い芝生に鎮座する青蛙の先に「トロッコのりば」の案内が出ていた。寄ってみるとそこにはPC枕木と50kと思われるような重軌条が連なっていた。 周囲をみると信号設備もある。「お、これは子供用の遊戯施設ではないぞ!」「そうか、あの同和鉱業小坂鉄道の…