線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’74年北海道の旅 ー6-

【1974/9/11】

 宿を発ち登別からD511120牽引の普通列車に乗り込んだ。メンバーは総勢十数人くらい居たのだろうか。

1番線に225レが進入。

2番線ホームの柱の美しさや味わいのありそうな跨線橋に、あの頃に目が行っていればなと今思う。

 

 苫小牧でほとんどのメンバーが降り、えりも岬へ向ったようだとメモがある。残ったのは鉄分が濃いと思われる4人ほど。内二人が次の沼の端で降り、自分と残りが終点岩見沢まで行く。

追分 8276レ?

駅に近づく、何か居ないかと目を凝らす。

居た!煙が上がっている。貨物だ。嬉々としてシャッターボタンを押した。

 

 岩見沢からさらに深川へ、留萌線へ向かう一人とはここで別れたとある。深川では駅構内はずれで留萌へと向かう貨物列車などをスナップした。

深川発留萌行きの専貨6783レが発車して行く。

牽引はD514(深)だった。前照灯にツララ切が付いており目を惹いた。

長く連なるセキの後方からもブラスト音が響いて来る。この6783レは後部補機付きのD51重連だった。

6783レを見送った場所は深川機関区の脇だった。救援車と思われる車両や数両の9600がそこに居た。

 

 深川からさらに塩狩へと向かう。旭川では今しがた稚内から着いたのであろう324レのC5530を車窓から見かけた。初めてみるシゴゴだった。渡道前にはC55稼働状況は分からない、C57が入ることもあると耳にしてしたので少し安心する。

 この日は塩狩YHに投宿。夕食後、YHのホールで休んでいるとガラス扉の向こうの線路を大動輪が下り列車で通過するのを見た覚えがある。ボックス動輪だったかスポーク動輪だったかは定かでないが、その迫力に驚き感動した。

 

※ この旅では小遣い帳的なメモを書いていたので紹介する。昼の食事模様と当時の物価が知れて面白い。

YH1泊2食 1250円

駅弁      300円

ラーメン    250円

パンと牛乳   170円

入場券      30円

手荷物預かり   50円

飲料(ファンタ) 90円

駅ソバ     130円 などの記録がある。

 今のようにコンビニは無いし、自販機だって数少ない時代。どうやって昼を過ごしたのかと記憶を探るが、具体的に思い出せないものの何かしらは口に入れていたようだ。

登別駅での乗車前に入場券を購入したら、30円区間の乗車券との共用だった。

入場券そのものの常備がなく、乗車券に「入場券」のスタンプを押して発行されたことはあるが、こんな形で常備されているのは初めて目にした。

また、東京では30円区間の乗車券は赤地紋であるが、青地紋だったことも珍しかった。