線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’74年北海道の旅 ー8-

【1974/9/13】

 急行「大雪5号」は網走行きだが、北見からは機関車を交換してC58牽引の普通列車となることで有名だった。それ故に北見発車を撮りたくて乗り込んだのであり、北見で降りたのだった。

 発車まで約30分の時間があったので、駅を出て広い構内のはずれまで行き場所を決めた。

 シゴハチが出区してきて入換えの後、客車に連結される様子を遠目にし、やがて豪快な汽笛一声での発車。爽やかな朝の空気を揺るがして網走へと向かうその姿。記憶は薄れゆくが撮った写真がそれを伝えてくれる。

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 この日は名寄本線の9600を訪ねることとし、宿は紋別に決めていた。朝日の差し込む北見駅の待合室で列車を待つ間、TVニュースで天気予報が流れていた。渡島、空知、後志・・・耳慣れぬ地方名が流れている。こうして天気予報を聞いていると、自分がいまその地の人間になったような気がしたものだった。

 遠軽までは普通列車でのオハフ60※に乗って戻り、名寄本線キハ22に乗り換え興部に向かった。

 興部では昼過ぎに上下の貨物列車が交換ダイヤとなっていたので期待して来たのであるが、撮影出来そうな場所は無く紋別に戻った。しかしながら紋別に来てみると、こちらの駅構内は歩道橋が横切っていて写真に入ってしまうという難があった。そんな中、トラ塗りの69620※※に遭遇した。このような塗装はレアではあるものの、ちょっと興ざめだなと思いながらスナップした。

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「遠」の区名札も誇らしいキャブ。

大正生まれの機関車が今なお活躍していることに感銘を受ける。

 

 夕方に紋別のYHに入ると、今朝ほど「大雪5号」から北見で別れた先輩と再び遭遇したのだった。

 紋別と言えば空港もある地方都市であるが、後年になって線路があっさりと剝がされてしまったのは悔しい。

※ オハフ60は本州では見ない形式のはずだが、車体だけでなくナンバーすらスナップしていない。調べてみると、その側面は座席2区画に狭窓が3枚という配置のようで興味深いが、それを目にした記憶もなく、観察力が甘かったようだ。

 観察力と言えば遠軽での乗り換え時、駅構内もホームの風景すらもスナップしていない。リュックにカメラを仕舞い込んでいて出し入れが面倒だったのか、そんな気すら起こらなかったのか、今となっては残念で仕方ない。今や駅ホームから見えたはずの機関区は消滅し更地になっているのだから。

 

※※ 1975年5月、SLシリーズ切手第4集に9600が登場したが、なんとそれは紋別で会った69620だった。切手自体からはサイズが小さいので番号は確認できないが、郵便局内に掲げられたポスターでははっきりと番号が読み取れた。「切手のこれを撮ったことがあるぞ」と内心誇らしく思ったものだった。なお、切手原画は宮澤孝一氏の撮影によるものと資料にある。