線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’74年北海道の旅 ー7-

【1974/9/12】

 この日は朝から夕方まで塩狩で過ごす。前夜ここのYHを選んだのはもちろん、朝の322レ狙いだった。

 朝飯前に和寒側の駅構内はずれで待つ、一面に霧が立ち込める中を蒸機機関車の吐息とヘッドライトが迫る。ファインダーでもナンバーを読み取れた、「C5530」だった。

322レ 

 322レは5分ほどの停車時間があるので、駅へ急いでスナップ。こちら側は清々しい朝日が差し込んでおり、シゴゴ・サンマルが落ち着いた表情を見せていた。

 

 夕方まで塩狩駅の蘭留方や和寒方で過ごした。雑誌記事で見た蘭留方の塩狩峠を行く列車の風景を探したがよく分からなかった。この日の321レは門デフのC57130、324レはC5787だった。北海道に来て何で門デフに会わねばならぬのか?、何で平凡なシゴナナなのか?と思ったが、ともかく朝にC5530に出合えたのはホント幸運※と思った。

 2連の急行「なよろ1号」 エンジンの調子が芳しくないのだろうか、もうもうとした排気を立てていた。 (蘭留-塩狩

(蘭留-塩狩) 1397レ

 D51954(旭)は胆振縦貫鉄道D5105として生まれ、国鉄に買収された歴史を持つカマ。しかしながら、関東で散々目にして来たあの「パー」付きだったのが残念。

和寒塩狩) 1394レ 

DD51を後部補機に従えたD51866(名)。

 

 夜には札幌へ移動し急行「大雪5号」に乗り込んだ。それに乗るのならば旭川からで良いのだが、遅い時間になるし座席は確保したいとの思いだった。

 札幌のホームでは同じ列車に乗るという先輩一人に出合うことが出来、ボックス席を囲んでの車中泊となった。

 

※ここで前日の塩狩YHのホールでの目撃シーンを検証する。

 この旅で持参していた「SLダイヤ情報」には機関車の運用表や列車ダイヤが掲載されているので、列車ダイヤを開けば夕食時に見た動輪は恐らく323レと推定出来る。

 となれば運用表を開くと、その323レ牽引機は翌朝(つまりこの日の朝)の322レの牽引機である。その仕業の前仕業は当日の午後324レであり、順調に流れればこの仕業に入るので、前日の旭川到着時に見かけたC5530が夕方の323レに入ったかどうかをチェックすれば、翌朝322レがC5530かどうかを判断出来るのだ。

 なんと折角持参していながら資料を読みこなしていなかったことが判る。資料を読み込みし線路端や駅に出向いてチェックさえしていれば、朝もやのC5530との対面は予見できたのである。よって結果からすると、前夜ぼんやりと眺めていたあの動輪はスポーク形ということになる。当時の自分はそんな読み込みも出来ていない未熟者だった。

こんな駅自前?のスタンプが置いてありました。