【1974/9/16】
早朝、岩見沢着。
前夜「それじゃ、明日朝に岩見沢のホームで」と言って別れた仲間は、待てどもオロハネ10から姿を現さなかった。
栗丘へ移動のため乗った列車は朝日を受けて進む。車窓からの景色を眺めていると、この列車の機関車と客車のシルエットが田んぼに現れたり消えたりを繰り返した。今の世なら即座にスナップするが、その時カメラはリュックの中、脳裏にだけ刻まれたシーンとなっている。
栗丘は手頃な撮影地として有名だった。列車が頻繁に行き交い、スナップの数をこなすことが出来たが、機関車はD51とC57のみで面白みに欠けた気がした。
221レ D51重連だった。郵便・荷物車の無い純粋の客車のみ6両編成が美しい。
5770レ 側面をたっぷりと後背位からショットすると半流型の特徴が良く判る。
上下線が大きく別れ国道をオーバークロスする地点は、御同輩の多くの方々が見覚えのあるであろう場所。
5562レ これほどまでの黒煙が天まで届けと言わんばかりに立ち上る。
223レ 構内踏切の先は未だ嵩上げされていない石積みのホーム。
きりりとした姿で列車を迎える助役と、岩見沢へでも出かけるのであろうか乗客の姿。
あの時代の国鉄、あの時代の日常の風景が偲ばれる。
9491レ 貨物輸送上の重要路線でもあり頻繁に貨物列車が来る。このD51重連は定期なのだろうか。前位機はほとんど煙がなかった。
この日は合宿2回目の集合となるので、現地に向かうべく札幌に移動する。※
札幌では時間があったので少しは観光でもしようかと色気を出したものの、どこに行って良いかも分からず、地下鉄でも乗ってみようと中島公園へ行ってみたのだが、何かをするでもなく終わった。
やはり鉄道のことばかり考えていて、観光となると思考が止まってしまうのかと自嘲する。
集合地の中山峠まで乗ったバス会社名も時刻もメモに無いが、バス代600円を払った記録だけが小遣いメモにある。※※
ところで、合宿の1泊目も2泊目もその内容には全く記憶がないしメモもない。ただ集まってただ過ごして、何の印象もなく2泊とも終わったのだろうか。例の仲間が岩見沢駅ホームに現れなかった事についても、問いただしたのかどうかも記憶がないが、多分「寝過ごしたゴメン!」で終わったのではなかろうか。
※ キハ22222というゾロ目番号に乗っている。面白い番号と思い乗り込み記録したと思うが、車両も番号もスナップしていない。フィルムをケチったのかと思うと残念。
※※ いま時刻表を見返すと道南バスと定鉄バスの共同運行で1時間半近くの乗車時間となっている。東京の感覚からすると結構な長距離だったのだなと思う。
急行「利尻」を降り、一息ついて室蘭本線へと乗り換えた朝。
さすがの人気撮影地。手作り感溢れるスタンプが用意されていた。
昼食にと珍しく駅弁を購入したようだ。300円は平均的な価格か。
独特の紋様が北海道を感じさせる掛け紙。