線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’77年 北陸駆け足旅 ー1-

【1977/3/18】

 前夜、上野発の急行「越前」は網棚に銀箱がずらりと並んでいた。そうかこれらの持ち主は皆揃って自分同様に小松で降りるのだなと判った。

 尾小屋鉄道の3月19日での廃止が決まり、最後の姿を見ておこうと小松行きを決め、自分そして多くの御同輩もまた急行「越前」に乗り込んだのだった。

 朝6時半に小松着。さて尾小屋鉄道の新小松はどこ?と心配することもなく、改札口から銀箱隊が続々と向かっているのが判る。これに続いて行けば良いのである。北陸本線の踏切を渡るとそこが新小松だった。一番列車は6時50分発だが、切符を買おうにも銀箱隊の行列が出来ており中々進まない。漸く手にして一番列車に乗り込んだものの、ただでさえ狭いナローゲージの車内は銀箱隊で埋まってしまった。

 小松の発車時には全く見えなかった地面の雪が、遊園地前という駅のある山の中に入ると所々に見えるようになって来た。杉木立の中にある花坂を過ぎ、大きく開けた大杉谷口に着くと多くの方が降りた。駅の周囲や鉄橋を望む田んぼの中にはカメラマンの姿が見える。

 上下の列車交換が行われる金平で下車した。空はどんよりと曇っており、周囲の田んぼは雪に覆われていた。臨時のダイヤと臨時の編成が組まれているようで2両や3両の列車が頻繁に行き交った。小松から臨時のスジでキハが客車1両を牽いて来て、ここで客車をホームに置いて機回しし、小松へ戻って行く様子なども見ることが出来た。

 しかしながら、ホームも駅の周囲もカメラマンだらけ、どこにカメラを向けても人影が入ってしまうし、自分が構えている前に平気で入って来る輩も多い。廃止の間際に来た自分がいけないのであるが、山間の里を行くナローゲージの長閑なイメージとはかけ離れた光景が広がっていた。

 ホーム上にある信号梃子が印象的だったし、駅名標の歯科医院名に地域の生活感を感じた金平の駅。

 

 なお、この日の終点の尾小屋は雪で閉ざされており、倉谷口~尾小屋間は運休中のためバス代行となっていた。雪で不通のまま廃止というのも寂しい限りの尾小屋駅である。

 金平でのスナップを切り上げて大杉谷口に戻ってみたが、こちらもカメラをどこに向けても人影が入り込む状況は変わらなかった。

 駅はその名のとおり杉木立の傍らにあり周囲に田んぼが広がっていた。金平に向かって少し進むと石積みの橋脚を持つこの鉄橋を渡って行く。

(1977/3/18)