線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’75年 西への旅 ー7-

【1975/2/26】

 残念無念、なんとも悔しい朝を迎えた。

「音戸1号」は途中の倉敷で車両(機関車)故障とのアナウンスで発車が大幅に遅れたのだった。大阪に着いたのは所定5:11のところを6:08と約1時間遅れであった。急ぎあの列車を求めて2番線に向かうも時既に遅し、居合わせたファン氏にアノ列車のことを訊くと先ほど引き上げたとか。

 

 実は「音戸1号」で大阪に早朝到着を狙ったのには理由があった。北陸からの特急「つるぎ」のヘッドマークを見たかったからだ。EF58の前面に輝く「つるぎ」のそれは憧れだった。普段、それを見ようとすると東京からでは、大阪へ前泊するしか方法は無い。「音戸1号」で大阪入りすることで、西からの「あかつき」や「彗星」などの他に北陸からの「つるぎ」や「日本海」を目にすることが出来るのだった。

 

 落胆しつつも「音戸1号」の後を追って上って来る「あかつき」や「彗星」などの寝台特急群を出迎えた。そろそろ北陸線からの「日本海」が来る時刻となり様子を窺うと、所定8時半到着のところ3時間遅れとのこと。仕方なく環状線を眺めたり、阪急梅田駅を覗いたりして時間を潰し、頃合いを見て再びホームに行ってみるとなんと2時間40分遅れで到着し、既に向日町へ引き上げてしまったよと、居合わせたファン氏の言葉が突き刺さった。

ロクゴの501が来たが、ボロボロのヘッドマークが痛々しい。

30レ 「あかつき4号」 西鹿児島発新大阪行き      (1975/2/26 大阪)

この旅で見たかった機関車はEF61。関東に姿を見せることは無い。

荷38レ EF614(広)               (1975/2/26 大阪)

荷39レ(左)と福知山線723レ(右)、今から思えば貴重なシーンだが、当時は特段の興奮もなく、「あ、並んだ!」という程度のスナップ。 (1975/2/26 大阪)

1502M 急行「ゆのくに1号」 金沢発大阪行き    (1975/2/26 大阪)

「つるぎ」、「日本海」には嫌われたが、急行列車が北陸の香を漂わせてくれた。

 

 今回の旅の秘策として折角「音戸1号」を使ったのに、目的の北陸勢にことごとく嫌われてしまった。落胆が大きかったが気力を振り絞り関西の鉄道を見聞すべく環状線に乗って回ってみた。

 まずは阪神梅田で阪神電車を見、天王寺阪和線、京橋で片町線京阪電車と駆け足で回り、一先ずこの目で見たことで目的達成とした。このあと阪和線の鶴ケ丘に出て、きょうの宿の大阪長居YHに入った。

阪和線新快速 クハ111-151 天オトほか      (1975/2/26 天王寺

 片町線京橋のホームは島式だった。これではまともな写真は撮れないなと思案していると、こんな渋い顔したクハ79(035)が来てしまった。  (1975/2/26 京橋)

知っていればどこか相対ホームの駅を探して待ったのだが・・・。