線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’75年 西への旅 ー6-

【1975/2/25】

 朝、YHを出て錦帯橋を渡ろうとすると入口のところで料金を請求された。「えっ、きのうはそんなこと無く只で渡って来たのに・・・」、どうやら日中は料金を徴収する時間帯のようなのだが、朝から少々イラっと来た。

 広島駅では9時から午前中一杯、来る列車来る列車にカメラを向けた。「つばめ」だ「はと」だと、ひっきりなしにボンネット特急がやって来て興奮するが、結果的にはつまらぬ駅撮り写真の大量生産となってしまった。そんな中、異色だったのはEF59。瀬野~八本松間のみの運用かと思っていたのだが、広島にも顔を出していた。

EF598                        (1975/2/25 広島)

 何やら物々しい大阪方の連結器回りは、瀬野八越えの補機運用に際して、特急貨物列車の場合には走行解放となるための自動解錠装置。

 

 午後は、その瀬野に行ってみた。雑誌記事等で良く見るあの山の上からカーブを見下ろす写真を撮ってみたいと思ってのこと。

 瀬野駅から30分ほど国道を歩いてみたが、それらしい雰囲気はなく仕方なく駅に戻った。駅構内でEF59をスナップして過ごす。

EF59はEF53とEF56の改造から成るので、外見上は同一形式とは思えない。

また、広島方前面にはトラ塗り警戒色が施されているが、大阪方にはそれが無い。こうしてみると56と53の異形式重連のように思える。(1975/2/25 瀬野)

 

 余談だが、駅前で初めての定食屋を経験した。ご飯と味噌汁のほかに惣菜の並んだ棚から一品や小鉢を自分で選んで支払いをするアレ、国鉄職員相手の店でもあったのかなと今思う。

 この日の夜は急行「音戸1号」と決めていたので、駅窓口氏に寝台券の有無を照会したところ下段があるというので発券してもらった。寝台で眠りたいというよりも、ここのようにみどりの窓口ではない駅で発券してもらった準常備の硬券が欲しかったのだ。電話でのやり取りでの発券作業を見ることが出来、よい思い出となった。

その寝台券を入れてくれた袋。乗車月日、列車名、発車時刻が丁寧に記されている。

何か時代がかっているなと裏面を見ると、<2等>の文字が。

モノクラス制への移行は’69年なので、これは少なくとも6年前以前のモノ!

 

 夕方の広島に戻り駅構内や駅前の広電をスナップして過ごす。夜になると東京行きの寝台特急が発車していく様を眺めることが出来た。

3026M 「はと3号」 下関発岡山行き         (1975/2/25 広島)

2D 「かもめ」 長崎・佐世保発京都行き キハ82-97ほか (1975/2/25 広島)

 あの頃の駅前の広電のりばは青天井。様々な形式と色彩の電車がひっきりなしに発着する様子は見ていても飽きない。画面左の両替機の案内が時代を感じる。(1975/2/25)

201レ 「屋久島1号」 大阪発西鹿児島行き       (1975/2/25 広島)

 

 あれやこれやとスナップしながら時を過ごす。瀬野駅で発行してもらった寝台券を手に乗り込んだ急行「音戸1号」呉線回り京都行きは、22:20定刻に広島を発車した。

   ※発車後の案内放送はこちら

 参考までに当日の編成を記すと、座席車12系とスロ54、スハネ16との混結。