線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’76年 四国・岡山の私鉄巡り旅 ー4-

 

【1976/9/19】

 四国とはお別れの日。岡本から乗って来た琴電に別れを告げ、向かいに位置する高松駅を見上げる。四国入りした日は未明の時間だったので、その姿を初めて見るのが分かれの日とは皮肉だった。

魅惑の車両いっぱいの琴電に再訪を期して、一先ず別れる。

 連絡船で着き、ここから四国内各方面に向かう旅客の流れも、瀬戸大橋開通で大きく変わったし、それに合わせて駅自体も移ってしまった。

 

 高松から宇高連絡船に乗り込むと、先日と同じ阿波丸だった。天気も良かったので1時間の船旅をデッキで過ごした。瀬戸内海の美しい島影を眺めていると、連絡船の進路を右から左からと貨物船などが頻繁に横切る。よくもまあ衝突しないものだと思う。宇野からの接続は快速列車だった。編成に組み込まれたグリーン車を見ると、最近横須賀線から転出したばかりのサロ113だった。新製車両だったにも係わらず定員減となったために、横須賀線での使用不向きと判断されて関西に転出したと聞いていた・・・。

 茶屋町普通列車に乗り継ぐ。下津井電鉄の旧駅舎が見えホームが残っていた。線路は無くそこにバスが乗り入れていたのが見えた。

 大元に着くと岡山臨港鉄道の気動車が待っていた。丸みを帯びた車体がかわいい。元江若鉄道のように見受けた。自動車と同じようなクラッチを入れて加速するスタイルだった。「臨港」と社名が謳っているものの、沿線風景は田んぼと住宅、小学校も見え運動会をやっていた。

 宇野線とホームを供用し、のりばの案内が小さくある。こんな車両がいきなり目に飛び込んで来るのが、ローカル私鉄訪問の醍醐味。

低い背ずり板が並ぶ車内。座席というより腰掛。

小児用乗車券を記念に購入。あまりに素っ気ない券面。

 岡南元町まで往復したのち、岡山電気軌道線のスナップに移る。前もって地図を調べると、大元から1.5kmほど歩けば軌道線に出会えそうなのが分かったので、勘を頼りに歩くことにした。なんとか清輝橋線大雲寺前に出ることが出来、ここから中鉄バス前、東山本線西大寺町と進み、京橋の袂まで来てスナップした。

大雲寺前

センターポールの京橋を行く。

 

 表町入口まで戻り岡山駅前まで乗ってみることにした。料金は60円、ワンマンバスで見るような機械式の料金箱は無く、100円硬貨での釣銭客には運転士が小袋に入った両替金を渡し、客がその中から60円分を払うという方式だった。その小袋が薬袋みたいに綺麗に織り込まれていたのが印象的だった。

 岡山から倉敷へ向かい宿に入る。途中倉敷駅前から美観地区を通り抜けたが、美観を作り上げているような感じがして映画のセットのような雰囲気だった。