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【1974/9/9】
いよいよ蒸機撮影となる日。植苗のお立ち台を目指す。
YHからお立ち台へは25000分の1の地図を頼りに歩いた。5~6kmあったろうか、或いはそれ以上か。原野の中の国道をとぼとぼ歩く、途中から植苗方向へ目星をつけた脇道を探して入る。詳細な撮影地ガイドなど無い時代、不安に思いながらも「見込み」で進んで行きなんとかゴール出来てほっとした。
遠くに苫小牧のコンビナートを望む雄大な風景と、千歳線を行く特急群や室蘭本線のD51貨物、C57客レをお立ち台の上から下から堪能した。
専貨5793レ 空のセキを連ねて夕張のヤマへと石炭の積出しに向かうのであろうか。
224レ 8両と見事な編成であるが、よく見れば半数は郵便荷物車と思われる。貨物同様に鉄道が地域の物流を担っていた証し。画面左に連なる通称「ハエタタキ」が懐かしい。
生きた蒸機に対面するのは2年ぶり、そう鉄道100年記念の特別運行以来のことだった。普段着姿の蒸機となれば4~5年ぶりとなる。
だが、少し残念に思ったのは、あの北海道スタイルだ。切り詰めたデフの姿や密閉キャブ、それに伴う異様に短いキャブ屋根を見ると別形式ではないかとさえ思った。
函館行き「おおぞら1号」
お立ち台での撮影を楽しんだ後は植苗駅から苫小牧に移動し、苫小牧駅構内はずれの跨線橋に寄ってスナップしてみた。架線の無い跨線橋は初めてであり、架線柱やビームを気にせずにアングルが自由に取れて嬉しかった。
奥に見えるのが苫小牧駅。その奥の高い煙突は植苗のお立ち台からも見通せたコンビナートの煙突群のひとつ。
手前は本線上に設置されたピット。給水や火床整理を行う様子をこの跨線橋から間近に観察することが出来た。
ギースルエジェクタもしっかり観察。線路端で待機中の乗務員氏、しゃがんで煙草を一服の光景も懐かしい。
助士席の前面窓はHゴムはめ殺しだった。機関士側は通常の旋回窓装備。(D51328)
楽しい観察が続いたが、雨が降り出して来たので撤収。
この日の宿の白老YHへと向かった。