線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’74年北海道の旅 ー2ー

【1974/9/7】

 初めての北海道の地は深夜1:35の函館駅連絡船待合室で幕開けとなった。

 夜明けまでには時間があるので硬いベンチに横になるが、変な酔っ払いに絡まれないか、誰かに荷物を取られないかと心細い。眠い目には眩しい蛍光灯、潮の香りが混ざったような澱んだ空気、コンクリートの床に纏わり付く数匹の蠅、そんな待合室の殺風景な情景が強く印象に残っている。

 ようやく朝になり、駅前から函館市電のスナップを開始。メモによると松風町まで歩き、そこから五稜郭公園前までを往復。次にバスで湯の川へ出向いて市電で函館駅前へと戻っている。事前の準備もなく適当に回ったと思われる動きだ。せめて十字街や谷地頭などにも行っていればと今になって悔やむが、当時はレトロな街並みとか急坂の電停とかの撮影地情報は存在しなかったと思う。

五稜郭公園前にて

 

市電スナップの後は昼の急行「宗谷」で大沼公園へ移動した。

「宗谷」は11:50発。

 見れば隣のホームには11:40発「おおぞら3号」と11:45発「おおとり」が待機中。優美なキハ82が2羽も並ぶ姿には惚れ惚れする。

 

 大沼周辺は以前から好撮影地として雑誌記事で認識していたので、撮ってみたいと思ってのこと。夕方まで周辺を歩きながらスナップして過ごす。

ユ、ユ、ハ、ロ・・・。DD51を先頭に函館行き急行「ニセコ1号」が行く。

 大沼公園駅近くに道路が砂原支線をオーバークロスする場所があった。函館を目指す上り特急や急行は皆、森からはこの砂原支線を経由していた。よってこれらは大沼公園駅は通らずにいたのだった。

 

 この日の宿イクサンダー大沼YHは、自分のYH宿泊第1回目となった。