線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’74年北海道の旅 -3-

【1974/9/8】

 旅の3日目、午前中は大沼駅やその先の仁山のほうに向かって歩いてみた。背後に駒ケ岳を望み、ただただ広い原野に北海道に居ることを実感した。

 延々と連なるワムの編成。お尻はまだ大沼駅構内を抜けていないようだ。このように遮るものなく全編成を見通せるのも北海道の原野を実感する。

 

 その先の大きなカーブにも行ってみた。かつて「大沼湖畔を行くD52」というような写真を見た覚えのある場所だった。僅か2年前まであの巨体がこの線路を走っていたかと思うと感慨深い。

 鉄道趣味誌で何度か目にした場所。北海道に来たら是非ここで撮ってみたいと考え、今回のスケジュールに組み込んだ。

 

 キハ82の特急群が頻繁にやって来る。さすが幹線、北海道の大動脈である。しかも架線が張られていないことにまた本州との違いを感じた。D52を追いやった北国仕様のDD51を初めて目にする。

 不意に三ツ目ライトのDD51745(※)が迫って来た。北海道には三つ目のDD51が居る!と強く印象づけられた時だった。

123レを牽くDD51745(五)

 この写真、一見すると右側通行のように見えるが、奥側は函館発の下り優等列車と貨物列車専用の藤城支線で仁山を経由しないもの、手前側が函館本線仁山停車の下り普通列車と上りは全ての列車が使用する。

 

 蒸機目的の旅にもかかわらず、こんな具合に北海道初日2日目ともに未だ煙を嗅がずとも嬉々としているという、我テツ指向の雑食性を笑ってしまう。

 大沼公園駅に戻り昨日乗車した昼の急行「宗谷」で長万部へ、さらに普通列車と急行を乗り継ぎ夕方に苫小牧着。

 観光地としての大沼公園には行かずじまい。そこが駅から至近の場所だと知ったのは30年後でした。

 列車乗り継ぎの間で途中下車して押印。

 

 YH2泊目となるウトナイ湖YHへは駅前からバスの便があると聞いたが、知らない土地での乗るべきバスはどれかと不安になった。

 そんな中、「勇払」行きを「ユース」行きと聞き違えて乗り込んでしまい、発車直前に慌てて降りたことを覚えている。

 

※ DD51745は後年、新潟で再会を果たすことになった。「ばんえつ物語号」運行開始の年のクリスマストレインで、新津駅にて使用客車が上沼垂から回送されて来るのを待っていると、それを牽いて来たのが三つ目のナシゴ(745)だった。調べてみると民営化前の’86年に五稜郭から長岡に転じており、三つ目のまま磐越西線で活躍していたとのこと。しかしそれは丁度自分が休鉄期間中のことでもあり知る由も無かった。