線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’74年北海道の旅 ー1ー

 大学1年の夏休み、北海道へと旅立った。それは何もかもが初めて尽くしの旅だった。北海道はもとより初めての東北以北への旅、しかも13日間という長旅も初めてのことだったし、YHを利用するのも初めてだった。

 その旅で乗車した鉄道車両の記録ノートと、スタンプ帳の簡単なメモを頼りに振り返ってみたい。

【1974/9/6】

 周遊券を手にした貧乏学生の旅の常として、急行列車自由席を乗り継いで北上した。上野発の盛岡行き急行「いわて1号」を仙台で途中下車し、駅前周辺で仙台市電をスナップ。これは長時間乗車の息抜きも兼ねていたと思うが、数年後には廃止となった仙台市電の貴重な記録となった。また、この時の仙台駅は東北新幹線開業に向けての改築工事中だったし、仙石線は地平の行き止まりホームだったことを覚えている。

 当時は東北新幹線開業に向けてと言われてもピンと来なかったが、改築工事期間中のスナップは或る意味貴重か。(笑)

13:07発 快速石巻行き クハ79100(仙リハ)ほか

 仙石線は旧宮城電気鉄道の戦時買収路線。そんなこともあってか、仙台駅ホームも私鉄っぽい雰囲気を醸し出していた。快速電車の案内板を見ると、列車に応じて停車駅が異なるというのも面白い。

 

 仙台から再び北上のため乗り継いだ盛岡行き急行「もりおか1号」は、常磐線経由で上野から来たもの。「いわて」とは違って勝田電車区の車両だった。

 盛岡からは「しもきた」に乗り継いだ。弘前までは急行でその先は普通列車として碇ヶ関まで行くという、いかにも地元密着の列車と思った。そんなローカル急行に揺られて、やっとの思いで青森に着いた。東京から約700km、これからさらに海を越えるのだ。

 青森で少し休み連絡船は深夜の11便に乗るつもりでいたら、11便は後続列車で混雑が予想されるので、臨時の159便に乗るようにアナウンスで促され、慌ただしく乗り込むこととなってしまった。

いよいよ津軽海峡を渡る。