線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

2021-01-01から1年間の記事一覧

或るイベント列車

1984年10月のこと、鉄道記念日のイベント列車が走りました。旧客に乗って上野から日光まで往復するというもので、牽引機は当時既に希少となっていたEF58の89号機であると募集案内にも記されていました。 自分は「乗る」よりも「撮る」ほうですが…

京王2000系、2010系

京王線は馴染が薄くほとんどカメラを向けずにいましたが、そんな中の1983年10月にはどういう訳か北野で緑の電車をスナップしていました。 デハ2023 デハ2007 共に湘南顔の緑色電車、おでこのナンバーからすると2000形とでも言うのかなと、…

101系行楽列車

「思い出」と大見得を切るほどの無い単なるスナップですが・・・。 1981年10月、ちょっと面白い列車を見かけました。 (高尾) 方向幕は「臨時」ですが、立派なHMが付いています。良く見ると「高尾−相模湖」の文字。そう、その一駅間だけの臨時列車…

小野田線本山支線

1980年10月、山口線の重連運転に出掛けた際、ずっと気になっていた小野田線本山支線のクモハ42を訪ねることとしました。 旅の目的としてC57&C58重連と同じくらいの比重をかけて雀田駅に着き、さあ憧れのクモハ42に対面!と思ったのも束の間…

長野国体お召列車

1978年10月、テツにとっての大イベントが控えていました。それは長野国体開会式出席のため、昭和天皇のお召列車が原宿〜長野、長野〜松本、松本〜原宿に運転されるというものでした。 初日は原宿〜高崎がEF5861、高崎〜長野がEF62の牽引と聞…

武蔵野線延長開業日

1978年10月、いわゆるゴーサントウ・ダイヤ改正により武蔵野線の新松戸〜西船橋間が延長開業となりました。 これにより新八柱、市川大野、船橋法典の3駅が開業しています。当日はオレンジ色101系に装飾を施した祝賀列車が運転されました。 (市川…

東急つきみ野開業

1976年10月、東急田園都市線のすずかけ台〜つきみ野間が延長開業となりました。 デコレーションを施した祝賀列車が入線して来ました。ホームに居並ぶスーツ姿のオジサン方が、いかにも式典間近を思わせます。 神主さんのお清めのあとテープカットとな…

相鉄厚木操での

1975年10月、相鉄線の厚木操車場で鉄道友の会による新鋭7000形の撮影会が行われました。 ここを訪れたのは1970年の2100形撮影会以来の2回目です。小田急線をオーバークロスし、小田急の海老名検車区を横目にしながらここに至ると右手には…

隔世の感 総武流山電鉄

これまで「9月」をキーとしてテツの振り返りをして来ましたが、これからは「10月」のテツを振り返りたいと思います。 1974年10月、総武流山電鉄に出掛けました。常磐線の馬橋から出ているミニ鉄道というだけの認識で、いざ出かけてみると古典的・古…

SSE「おおいがわ」

元小田急SSEが大井川鉄道に転じた際は大きなニュースでしたね、早速会いに行ったのは1984年9月のことでした。 (新金谷) 転入にあたっては短編成されることなく5両編成のままお輿入れとなりました。さて新金谷で待機するSSE君、隣に並ぶ古ぼけ…

可部線73形

1983年9月、岡山・広島の旅をする中でちょっとだけ可部線に立ち寄りました。当時の可部線電化区間は73形の運用でした。 なにもわざわざ広島まで来て73形?とも思うのですが、それ以前の北陸の旅で富山に赴いた際に、富山港線の73形を無視(富山ま…

3度目の渡道

1982年9月、自身3度目の渡道でしたが、なぜか鉄分の薄いものでした。勿論、鉄道と連絡船で函館に渡り、道内も鉄道利用で道央・道東を周っていたのですが、観光地巡りばかりで鉄道のスナップがほとんどありません。 そんな中、札幌から網走に向かう急行…

箱根登山1000形の晴れ姿

1982年9月、この年のブルーリボン賞を箱根登山1000形が獲得し、その受賞記念列車が走りました。 それまで旧型車ばかりの箱根登山線に入線した1000形は、ロマンスカー色に準じた塗装でシックな装いでしたが、前面や側面の大きな窓は見た目にも眩…

妙見口

能勢電鉄の山下から終点の妙見口に来てみました。そこに広がる長閑な里山の風景は、「これが大阪近郊?」と思うような意外なものでした。 色づき始めた稲穂が美しい。 里は彼岸花の季節 用水に架かる小さな橋と線路の向こうにお屋敷がある農村風景。 あれか…

能勢電鉄

1981年9月、関西の私鉄各社を見て回っていました。と言っても普段から馴染がなく各社の詳しいことは判りません。とりわけ中小私鉄となると、どんな車両が居るのかさえ知らないままでの訪問でした。 大阪からほど近く、阪急宝塚線から乗り換えて行ける能…

東海道・横須賀別線化前

1980年9月、その年10月1日のダイヤ改正では横須賀線電車が東海道旅客線から旧貨物線を走ることとなるため、旧貨物線では乗務員の習熟運転が頻繁に行われていました。 新子安のホームで見ているとスカ色113系の4連や湘南色167系などが行き来し…

加悦鉄道

1979年9月、山陰を旅する中で加悦鉄道に立ち寄りました。豊岡からの宮津線に揺られて丹後山田に着くと、迎えてくれたのは元国鉄キハ08タイプでした。 検査上がりなのでしょうかピカピカの状態です。当日は残暑を思わせる気温でしたが、既に秋空が広が…

クハ改造客車

当日の記録には、五所川原から金木までナハフ1202に乗車とあります。 これは下車後のスナップと思いますが、車内のスナップもなく記憶が定かではありません。 次のコマではこのようにDLが付いていますので、この間に何らかの入換え作業があったと思わ…

津軽鉄道

1978年9月、東北地方の私鉄を巡る旅を行っていました。五所川原から乗り込んで行くと混合列車に遭遇です。 DLのあとにワムと客車が連なる編成です。 目の前にWルーフ、リベット付車体のオハ31が止まりました。会いたいと思っていた車両にいきなり…

江ノ電 鵠沼の鉄橋

1977年9月のある日、特にネタも無かったので良い天気に誘われて江ノ電へ散歩に出掛けました。ここ江ノ電境川橋梁(通称、鵠沼の鉄橋)はスッキリした写真が撮れる場所で好きでした。 長すぎず短かすぎず2両編成がきれいに収まる鉄橋です。鉄橋には欄干…

伊予鉄古町車庫

伊予鉄訪問の際、是非会ってみたい車両があったので古町車庫を訪問。思い通りに対面することが出来たのがこれ。 伊予鉄120形ですが、京急400形にそっくりです。元は昭和22年生まれの京急(大東急時代)の400形ですが、昭和40年に入り更新修繕で…

伊予鉄松山市内線

前年の国鉄蒸機全廃を受けての次なる目標を「ローカル私鉄訪問」とし、全国を巡る旅を色々計画実行して行きました。 1976年9月、四国の私鉄を巡る計画を立てた私は、前日の夜行で高松入りしたその足で急行「うわじま」に乗り、朝8時に松山に着きました…

張碓には止まりません

張碓駅訪問当時の時刻表を開いてみました。写真からは「荒涼とした風景の辺境の地」のようなイメージを持ちますが、函館本線小樽〜札幌間と言えば立派な都市近郊区間です。 日中時間帯でも快速列車や普通列車が1時間に2本程度の設定がありますが、快速だけ…

張碓駅

夏休み期間中の新規ネタの仕入れが滞りまして在庫が無くなりました。(笑) これからは、大昔の思い出ネタをしばらく続けさせていただいきます。 ********** 1975年9月、北海道で最後の活躍をする蒸機を撮る目的で渡道していたのですが、折角来…

D51451 「新」

長年に渡り風雨にさらされ痛みの激しかった公園のD51ですが、この3月に修繕を終えていました。 4月以降にはキャブ内等の公開予定でしたが、コロナ禍の為に延び延びになっていたものが、8月1日にやっと公開されました。 これまでも柵の外からは眺める…

気付かなかった箱根大文字

彫刻の森で降り、いつもの小さな鉄橋へと向かいます。 (強羅−彫刻の森) 鉄橋の脇には小さな木立があり、そこを走り抜ける登山線の絵が好きで毎回カメラを向けてしまいます。 今や旧型車に依る列車は1本のみ。次の旧型車を撮ろうとすると、先ほどの列車が…

炎天下

三度のスイッチバックを繰り返し、かなり標高を稼いだところで上り列車との交換待ちとなったので、ホームに降りてみました。 (小涌谷) 緑に囲まれた静かな駅です。吹き渡る風は幾分涼しいような気もしますが、まさに真夏の炎天下、その日差しは暑い!暑い…

箱根登山線

7月中旬に早めの梅雨明けとなり夏空が広がる中、箱根登山線に出掛けてみました。箱根湯本に着くと待っていたのは運よく旧型車。 夏休み期間に入ったにもかかわらず、現下の禍の為かガラ空きの車内のまま発車です。 車内がこれだけ空いていると「密」の心配…

意外に撮れない相模線

普段はカメラを向けない相模線ですが、いざ向けようとするとこれが意外に難しい。場所がありそうで無いんです・・・。ま、取り敢えず橋本へ。 駅前に林立するタワマンを背景に茅ケ崎行きが発車しました。今立っている場所の脇には大きなショッピングモールも…

相模線205系を置き換え

趣味の世界でも普段のTVニュースでもほとんど話題に上らない、地味ぃ〜な存在の相模線ですが、先ごろ205系の置き換えがアナウンスされました。 相模線には専用の500番台が充てられており、他に見られない斬新な前面を有していますが、でもやっぱり印…