【1979/2/17】
3度目の高松、今回も新幹線と新大阪からの急行「鷲羽」と宇高連絡船を乗り継いでの未明の高松入り。連絡船3便で着くと、4:07発の松山行121レが既に入線していた。
牽引機はDF50572。次位には真新しいマニ50。
121レの発車を見送ると、次の狙いの221レは1時間後。ホームの讃岐うどんで腹ごしらえし、発車を待つ急行「あしずり」の暖かい車内で待った。
高知行き221レは嬉しいことにDF50の1号機牽引で入線して来た。
1号機には前回に続いての再会。昼の順光下でないのが少々残念なところだが、新たな表情と割り切る。
発車のホームに移る。郵袋の積込作業が続いているようだ。機関車の前面には貫通扉からの隙間風を防ぐためであろう、ガムテープがビビッと貼付けられていた。
メーカーズプレートは小ぶりなものだった。
221レに乗り多度津で下車。ここでの11分間停車を利用してバルブ撮影。これから先、また会えるかどうか分からないと思い繰り返しシャッターを切った。
(つづく)