【1979/3/7】
西鹿児島から急行「錦江2号」に乗る。この日は日豊本線のDF50を撮りたいと考えていた。霧島神宮で下車。車内からロケハンした田園地帯でスタンバイする。
狙いは上り8レ「富士」。その通過時刻まで急行や普通DCで練習だ。カメラは85mmと50mmの2台をセット。あとは来るのを待つのみ。
前座の511D 急行「錦江1号」。このあとの「富士」の編成長を考慮してフレーミングする。
待つこと暫し、あの特徴あるエンジン音が迫って来た。オレンジとグレーそして白いラインを纏ったDF50に牽かれた青い寝台列車が迫る。85mmのフレームにIN! レリーズを押し込む!
あれっ、シャッターが下りない!!
えっどうした??と思いつつ、すぐさま隣のカメラのファインダーに移る。50mmのフレームにIN! レリーズを押し込む!
これまたシャッターが下りない!!!
なぜだ!どうした!何があった?!
DF50と24系「富士」がジョイント音を立てて目の前を過ぎて行く。そして遠く去って行くエンジン音とその青い客車の後ろ姿を茫然と見送るしかなかった。
まさかと訝りながら巻き上げレバーを確認すると、なんとなんと巻き上がるではないか。練習のあと巻き上げていないという大チョンボだった。
九州・日豊本線内で「富士」を撮るという今回の旅の目的のひとつを、自らの不注意で「無」にしてしまった。九州のここで、しかも1日1本のこれを撮るという自らの命題の下、勇んで臨んだのに・・・。
時間と意気込みをも無にしてしまった情けなさ、そんな怒りは誰かにぶつけようもない。ただただ打ちひしがれてカメラを仕舞い、三脚をたたんで駅に戻るしかなかった。
意気消沈しつつも、あとの行程のとおり宮崎へと向かった。大淀川河畔にてなんとか気を取り直そうとスナップして過ごす。定番のフェニックス越しの絵に心を落ち着かせることが出来、宮崎市内泊。
7レ 「富士」
キハ10系DCによる普通列車 キハユニ+バス窓のきれいな編成。
3004レ 「彗星4号」
DE10牽引普通(回送?)列車
電機牽引538レ
時刻表に無い列車が来た。何らかの回送と思われる。しかも電機牽引のPPだった。
その夜は昼の失態でなかなか寝付かれなかった。手持ち撮影の時は列車接近とともに、無意識に巻き上げレバーに触れて確認するが、三脚にセットした状態ではファインダーでアングルと露出計を確認したことで、「準備完了」と思い込んでしまったのかも知れないと、ひたすら反省だった。