線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

2025-01-01から1年間の記事一覧

瑞穂埠頭専用線の廃線跡

東神奈川駅から海に向かって歩を進め、高島貨物線の千鳥橋踏切を超えると瑞穂埠頭に至る瑞穂橋が見えてくる。 その傍らに茶色く錆びついた背の低いトラス橋が架かっている。これが旧瑞穂支線(米軍瑞穂埠頭専用線)の瑞穂橋梁だ。 そもそもはこの橋が架かる…

架線柱のこと

「電車っぽくて、いいよね。」 それは、自分が二十歳の頃の、鉄道友の会での何かの見学会でのこと、参加されていた年配の方が連れの方とのテツ談義の中で発した言葉で、以来ずっと耳に残っている。 会話の様子から電車の写真を見ながら、そこに写り込む架線…

東神奈川、鶴見へとテツ散歩

この日は終日快晴との天気予報に誘われて、途中下車さんとお散歩に。 久しぶりの東神奈川ということで、待ち合わせ時間前に思い出の場所へ寄ってみることにした。そこは横浜寄りの跨線橋。 3001M「サフィール踊り子1号」 見たことはあるけれど、撮ったこと…

両毛線のEF12 -3-

【1977/5/4】 桐生から足利へとさらに移動する。 小山発の1592レが来た。カマは1号機だったのだが、それと判るようなスナップを残していないのが情けない。 1~2両の解結を済ませ発車。 このあと足利から岩舟へと、またまた移動。 560レ 機関車にヨ1両と…

両毛線のEF12 -2-

【1977/5/4】 同じ年のGWにも再度お邪魔した。今回は予めスジを調べて1日かけて両毛線沿線を回ってみた。 570レ まずは利根川橋梁。なんとも寂しい単機の絵となってしまった。本来はEF12重連のスジのはずと待っていたのだが、GW期間中だったためか片方の仕…

両毛線のEF12 -1-

【1977/2/7~8】 群馬県前橋市に父方の親戚の家があり、お邪魔したことがある。その家の近くには両毛線が走っていた。当然ながらそちらが気になり、いそいそと線路端に赴いたのは言うまでも無かった。時はEF12が活躍していた時代。 1597レ スノウプラウを装…

師走の公園機関車 -冷えた朝-

公園機関車の夕暮れを見届けた日、「ならば朝日はどのように降り注ぐのだろう」それが気になり、後日、日の出時刻の少し前にD51の傍らに赴いた。 公園内には背の高い木々が多い。日の出とともにオレンジ色に輝く太陽が木々の向こうに上がったものの、未だ低…

’79 栗橋 -2-

「モロ被り」という大ショックを受けるも、「やけっぱちで撤収するのは勿体ない。」もう終わったものは仕方ないと切り替えて、新たな気持ちで撮影を続行しようと開き直った。 青森発406レ「津軽4号」 座席車が12系化されており、ロザ・ロネ・ハネの陳腐化…

’79 栗橋 -1-

【1979/7/23】 線路端でのショックな出来後の一番と言えば「被り」、そんな思い出がここにある。 この日、映画作品に因んだミステリーツアーの団臨が、上野から宇都宮経由烏山線の烏山まで走るというので出かけた。以前にも来たことのある栗橋に降り立ったの…

師走の公園機関車 -夕暮れ-

12月の声を聴き一気に冬めいて来た。日本海側に大雪をもたらした北西季節風が上越国境を越え、空っ風となって関東平野を駆け抜ける。そんな冬の空は青く澄んで気持ち良い。 南西方向に雲がなびいているものの、これから日の沈む方角には掛かっていない。これ…

秩父鉄道デキ7お別れ列車 -2-

【1976/7/31】 列車は三峰口に到着。 折返しの間にデキ7が撮影用に仕立てた貨物列車(っぽいもの)を牽いて武州日野まで往復するというイベントがあった。 途中下車してそれを撮ってみたいところだったが、三峰口でその帰りを待った。 三峰口構内で休む上野…

秩父鉄道デキ7お別れ列車 -1-

【1976/7/31】 秩父鉄道のデキ7機関車が引退するということでのお別れイベントがあり、鉄道友の会で参加したのは50年前のこと。 当日は秩父鉄道主催の、500形と600形の電車6両をデキ7が牽引して熊谷~三峰口間を往復乗車するイベントだった。1号…

辛うじて「秋」を・・・

昨今は四季の移ろいが見られず「二季」になってしまっているという。今年は確かに「梅雨前線の停滞」とか「秋雨前線の影響で」というような天気予報も聞かなかった気がする。 10月も暑いと思ったら急に寒い日が来て、11月になると駆け足で「秋」が通り過…

下板橋の1枚

ここに大昔の51年前に撮った東上線下板橋でのモノクロスナップがある。親譲りのカメラは、高校生の自分がぞんざいな扱いをしていた為に各所に狂いがある。よって写りの悪いしょうもない写真だ。それでもなんとなく春先の穏やかな日差しのようのものが窺える…

上信1000形ローレル賞受賞

【1977/8/21】 1976年デビューの上信1000形が、1977年のローレル賞を受賞し鉄道友の会による授賞式が行われたので出かけた。 晴れ姿を纏った1000形 「鶴舞う形」をあしらったHMも好印象。 構内は国鉄に隣接しており、傍らを189系特急が行く。 検…

上信電鉄1000形見学試乗会

【1976/3/28】 中小私鉄でありながら自社発注した電車であること、その前面が斬新なデザインであること、そんな興味を抱いて鉄道友の会による見学試乗会に参加したのは1976年3月のこと。 次の行程で高崎~下仁田間を往復。折返しの下仁田でスナップ。 高崎(…

社線時代の架線柱

自分にとっての「いつもの場所」の線路脇には、青梅鉄道時代の架線柱が数本立っている。 それをどうせ撮るなら車両も添えて写したい。頻繁にやってくる233系で撮ってみたが、何かしっくり来ない。平成のつるんとした車両よりも、昭和のゴツイ車両の方が似…

焼けるかな?焼けたぁ!

出先からの帰り道、頭上には薄い雲が広がり午後の日差しも届いていないのだが、見れば遠く西の空には青空が広がっている。 「ああ、これならいけるかも!」と、帰宅後直ぐに中央線多摩川橋梁へと足を運んだ。 期待通りの夕日が電車の横っ腹に降り注ぐ。 秋の…

横瀬車両基地フェスタ2025

先月末、横瀬に出掛けた。車両基地公開というと、コロナ禍以降は入場者数を制限するためなのか、はたまた鉄道会社の副業とでも考えているのか有料とする会社が多くある中、入場予約も入場料も不要という「昔に戻った」形での開催と聞き、いそいそと出かけて…

相鉄いずみ野線開業前夜

【1976/4/4】 1976年4月、開業前夜のいずみ野線を鉄道友の会で見学した日のスナップを紹介する。絵としては散漫なものばかりだがご容赦。 植栽による駅名がきれいに浮き出ている南万騎が原。 ホームの柵の向こうに田んぼが見える。農村風景に忽然と現れ…

東上線のブドウ色1号

この7月、東上線全線開業100周年記念として、それまでセージクリームを纏っていた81111編成がブドウ色1号に塗色変更されていた。あまり食指は湧かないでいたが、一度はこの目でみておくべきかと思ったのも今回の目的。 (小川町) 実際に見た印象として…

みなみ寄居

午後はみなみ寄居へ。 ここに来るのは3度目。未開拓の竹沢寄りの木立の中に入ってみることにした。 足元は悪く、やぶ蚊の攻撃をかわしながら進むと、線路沿いに立つことが出来た。と、急に日が差し込み周囲の木立がきれいな緑色に変わってくれた。 下り列車…

小川町~武蔵嵐山

この日は途中下車さんと待ち合わせ。バスに乗って撮影地へとご案内いただく。 国道254号線中爪橋から見える小さな田圃にて。お一人作業されている方にご挨拶。作られているのは古代米とか。ただ、水はけの悪い田んぼなので苦労が多いとのこと。反面流れ込む…

東上線小川町

暑くて暑くて長~い夏が終わり、やっと「テツ」の季節になったものの、皮肉にも毎週末に雨となった10月。ということで晴れ予報の平日に出動。さてどこへ行こうか?「ならば東上線にでも行ってみるか。」と小川町駅へ。 1番線、午前の日差しを受けて寄居行…

6050系

鬼怒川線、野岩鉄道線という観光路線に相応しいボックス席を持つ6050系が一斉に消えてしまうとは思いもせずにいて、5年前にSL大樹を撮りにいった時も「ついで」にしか撮っていなかった。 6050系の特徴というか記憶として挙げてもよいと思うのがコレ。車内に…

6050系団臨

6050系電車を使用した、野岩鉄道開業39周年企画の団体列車が東武動物公園~会津高原尾瀬口~南栗橋間で運転されるというので、久しぶりにあの電車を見てみようと出かけた。 折角なので下小代辺りで撮影と行きたいところだが、当日は午後から所用があるので…

往復乗車券等

来春(2026/3)の改正でJR各社の往復乗車券及び連続乗車券を廃止するとのアナウンスがあった。また往復割引の扱いも廃止するとのこと。 需要が少ないことが理由のよう。鉄道離れが進んでいること、IC乗車券の普及で「切符を買うことの手間」が省かれつつ…

拝島でPFを待つ

この日の昼前、青梅線内を鶴見線・安善へとオイルタンカー返空の任に就くPFを目にし、「ほう、久しぶりだな。よし、安善からの帰りを待ち受けよう」と夕方の戻りを拝島で出迎えた。 16時過ぎ、航空燃料を満載したタキを連ねてPFが安善から帰ってきた。こ…

あの頃の総武流山電鉄 -3-

【流山駅構内】 (1974/10/27) ホームは砂利敷でホーム屋根は本屋部分だけだったことが判る。 (1974/10/27) モハ101は元南武鉄道、国鉄買収を経て入線。(既掲載からの再掲) お椀型ベンチレータに扉窓の縦桟も魅力的。 (1974/10/27) 左からモハ11…

あの頃の総武流山電鉄 -2-

【鰭ヶ崎から平和台】 あの頃、鰭ヶ崎周辺はとりわけ緑が多かったように思う。都心から30kmに満たない地域でありながら、このローカル感に意外かつ感動したものだった。 駅を出て平和台に向かって直ぐの、今も線路と道路が密接に平行している場所が残っ…