線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’78讃岐・阿波・京の旅-1-

【鬼無にて】

 ’78年2月、2週続けての日曜日に雪の水上での撮影を終えた翌々日の朝は、四国・高松駅の待合室で迎えた。

 前夜、東京を新幹線で発ち新大阪から急行「鷲羽」と宇高連絡船を乗り継いで、未明の高松に着いたところだった。まだ暗い外はヒューヒューと強風が吹きすさび、荒天になってしまうのかと気を揉んだ。少し明るくなり、立ち食いソバ屋が開く時刻になったので、讃岐うどんで朝食とした。

 6:50の土讃線DCに乗り2つ目の鬼無で降りる。以前に四国の旅をした際に、田んぼの中の大きなカーブを知り、いつか撮影してみいたいと思った場所だった。

 

 線路は香西に向かって低い築堤となっており、ゆったりとした右カーブを描いている。強い風が雲を追い払うと、みるみる青空が広がって来た。間もなく朝の通勤通学列車が続々と上って来る時刻となっていた。

124レ 伊予西条発高松行

223レ 高松発高知行

 予讃線土讃線からのDF50牽引の客車列車が、雑多な形式で組まれたDC普通列車が、そして優美なキハ181特急が急行がと、ひっきりなしに目の前の複線を行き交うのだった。

6173レ

 朝のラッシュアワーが一息ついた頃、鬼無駅を挟んだ反対側の端岡寄りに歩いてみたものの、これといった開けた場所はなく午前中の撮影を終えた。

 

 午後はどこか他の場所を探そうかと考えたが、朝の場所ならば午後は下り列車が順光になると思われたので、このまま鬼無に留まることにした。

2171レ ごーまるのトップナンバーが来た。

125レ 高松発高知・川之江

 田んぼを吹き抜ける風は依然として強く寒いので、近くにあった物置小屋の陰で風を凌ぎ、列車の通過時刻近くになったら田んぼに出てスナップしまた戻る、ということを繰り返して過ごした。

1233レ 高松発琴平行

 鬼無での撮影は満足感で腹いっぱいになった。高松に戻ると夕日を浴びたDF50が発車を待っていた。このあと宿のある屋島に向かった。

(1978/2/21)