中央西線恵那駅を基点としていた旧国鉄明知線。3セクとして分離独立化し明知鉄道として生まれ変わった。多くの第三セクター路線のいずれもがそうであるように、ここでも国鉄時代の面影が随所に残っており、そのひとつ「琺瑯製駅名標」を探すのが今回の訪問理由のひとつ。

恵那から20分弱の乗車で阿木に着いた。早速コレが出迎えてくれた。丸ゴシの書体は国鉄時代のものだろう。
実は数年前、何かのTV番組でコレが一瞬映り込み、いつか出掛ける機会を窺っていたのだった。
手前は品の良い教科書体のようにも見え、国鉄時代の筆文字とは書体が異なるように思えた。近寄ってみると文字部分に窪みが無く、文字もシール貼りのように見えた。
早速、駅内外を色々スナップしたいところだが、間もなく上り列車が来るので駅近くでスナップすることに。

恵那寄りのカーブする築堤上に腕木式信号機の遺構をみつけた。設置位置からすると阿木の出発というより、下り列車に対する阿木の場内のように思えた。やがて阿木駅を発車したDCが顔を出した。
その昔、貨物列車を牽くC12が、普通列車のキハ52あたりがこうして顔を出したのだろうかとイメージを重ねる。
※明知線にC12が走っていたことについては、中学生の頃に目にした「ヤマケイカラーガイド 蒸機機関車の旅(広田尚教 著)」で、漠然と記憶に刷り込まれている。

駅に戻る。扉ひとつの改札口が静かに時を刻んでいる。

時は丁度学生さんの卒業シーズン。鉄道会社社員からのメッセージが寄せられていた。こんなところにも3セク社員さんの温かみを感じさせる。

かつてこの駅は交換設備を有していたようだ。使われなくなった対向ホームとレールが残っているのが嬉しい。

ホームの電柱に国鉄時代の琺瑯をみつけた。3セク化後既に40年。一体何年間、こうして風雪に耐えてきたのだろうか。

1時間ほど滞在し、次の下りで明智へと移動することとする。
(2026/3/10)