【1979/3/5】
長崎から福岡・甘木に向かうべく急行「出島2号」で佐賀へ。
4005レ「みずほ」
佐賀駅は新幹線型高架駅になっており味気ないものだった。
佐賀線の瀬高行きの普通DCに乗り換えて筑後柳河で下車。途中筑後川昇開橋を渡った際、昇開作業の係員だろうか詰め所に人影が見えた。筑後柳河駅から西鉄柳川駅に歩いて向かう。同じ「ヤナガワ」なのに漢字が違うことに気が付く。
柳川から西鉄電車に乗り込む。さすが大手私鉄である、それまでのローカル私鉄の旅が一転して東京や大阪にいるかのようだった。
花畑 (2000形 2021)
花畑 (20形 27)
「次は花畑、甘木方面乗り換え」の放送に???と思いつつ下車。次の甘木行きまで時間があるので本線を行く列車や甘木線用の丸っこい200形をスナップした。
(200形 207)
この顔、これに会いたくて甘木線訪問を計画したのだった。
超ロングシートの200形(207)車内
200形に乗り込み花畑を発つ。久留米を過ぎ宮の陣から甘木線に入った。車内からのロケハンでやっと開けた場所を見つけ下車したのが本郷駅だった。
McTMc3連で走る200形。
200形は西鉄の前身九州鉄道の20形電車として生まれたもの。中間付随車はク250形から運転台撤去されたもの。
TcMc2連で走る200形。
制御車は明らかに200形とはスタイルが異なる。調べてみると元は博多湾鉄道汽船の日車製ガソリンカーであり、西鉄との合併後により移籍され電車制御車化改造されたとのこと。
556D
国鉄甘木線は朝3本、夕3本という閑散路線だった。16:30発のキハ20単行が入って来た。
バス窓のキハ20 102(門ハイ)
「基山-甘木」のプラ製サボ。出来れば琺瑯のサボが入って欲しかったと思いながらスナップ。窓枠は木製だったし、車内はというと本来白い天井、薄緑色の壁面であるにもかかわらず、ともに黄色や茶色と煙草のヤニで変色という年季の入った車両だった。
入場券を所望したが、常備が無いとのことでゴム印処理された。3セク化されてしまった今となっては、これはこれで貴重かも。