線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’78東北私鉄巡り旅 -5-

【1978/9/15】

 この日は宮古から三陸海岸沿いを南下して陸前高田まで行く。

 朝一番で宮古局に寄って風景印を求める。そのあと駅前からバスに乗って浄土ヶ浜を観光。

 どんよりと沈んだ天候のせいもあり、空も海もグレーに染まっていて、うら寂しい感じがした。(あれから30余年後、未曾有の大震災では人工物が悉く破壊されたのに対し、この景観が威容を保っていたことは驚きでもあった。)

 

 長居せずに宮古駅に戻り、急行「そとやま」に乗り釜石へ。

 途中、浪板海岸という海水浴にも良さそうな美しい海岸が見え、吉里吉里という井上やすしの小説に出て来る駅名も目にした。

 

 釜石で降りる。駅前に出ると目の前には大きな工場。まるで鶴見線の駅前のような風景だった。釜石は製鉄の街とのことだが、京浜工業地帯の街に住む自分からすると、「わざわざ遠くまで旅をしたのに」着いた先が工業地帯かと、勝手ではあるけれど皮肉な思いがしたのだった。

 

 釜石から大船渡行きのバスに乗る。途中結構な山道で事故渋滞にはまった。盛には大幅に遅れて16時前に着いた。このあと国鉄盛線に乗り継ぐのであるが、その間に岩手開発鉄道をスナップしなければならない。急いで岩手開発鉄道のホームに行く。

 車輛1両分のホームと待合室の駅。後方は国鉄盛駅

 DCが入線してきたが、なんとも言い難い2枚窓。

 構内には元夕張鉄道のキハ07タイプが居た。

 おでこのラッパが特徴。

 一通りスナップし、隣駅までの乗車券を求めてみると、金額式の味気ないものだった。大急ぎで国鉄盛駅に戻る。

 

 16:16発の列車に飛び乗った。

 この列車にはキハユニ26が連結されていた。途中、交換列車の待ち合わせで5分停車となったので、記念押印を頼んでみようとホームに降りた。

 乗務員氏はこちらの顔を見るなり、「日付印か?」「上りか?」「下りか?」「そうか東京から来たのだったら、両方押してやる!」と実に気前が良かった。聞けばこのような押印依頼が結構あるとの事だった。

 夕方に陸前高田に着き、雨がシトシト降る中を20分歩いて松林に囲まれた宿に入った。