線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

横川から津久田への日

 昭和50年代、2月の声を聞くと上越線方面が気になって仕方がなくなって来る。時刻表の冬の号を見てはスキー臨の動きを調べ、それに合わせて撮影の日程を考えるのだった。

 毎週土日に走るものであれば余裕を持っていられるが、4~5回しか走らないもの、ましてや2回くらいしか走らないのであったりすれば最優先で考えねばならなかった。そんな昭和53(1978)年2月のある日の記憶を振り返る。

【1978/2/11】

 この日は午後の列車に狙いを定め、その午前中は信越線の横川に寄ることにした。横川駅から線路沿いに歩を進め旧丸山変電所跡に立った。3年半ほど前にも来たことがあるので久しぶりだった。

321レ

 当時信越線の普通客車列車は2往復あり、これはその1本。高崎発のこの列車は実は上野発の高崎行き2321レとして走って来て、高崎にて編成そのままに列車番号を変えて長野行きとなるのだった。この日はそれに乗って高崎まで来て、先行する横川行きの電車に乗り換えての先回りで、スナップすることが出来た。

322レ

 321レから30分ほどで相方とも言うべき直江津発高崎行きの322レが峠を下りて来る。旧型客車を従えたEF63×2とEF62の3重連はカッコ良かった。この列車も高崎からは2322レに列車番号を変えて上野まで向かうのだった。

1490レ

 この日は霧に包まれ視界が悪く、露出も稼げないなど撮影には厳しかった反面、旧変電所の煉瓦積の建物が霧の向こうに浮かび上がるムーディーな情景となっていた。

3004M 特急「白山1号」

 電車と電気機関車それも重連の組み合わせは、ここでは当たり前としても他では目にすることの出来ないものと思う。軽井沢からの峠を下って来る列車の滑走防止役としてロクサンが日夜頑張っていた。

クモハ115―1024(高シマ)

 この日の高崎~横川間の普通列車には115系の新製車が充てられていた。これまでならば首都圏を追われたお古が回って来るところをピカピカの新車が入っていたのは驚きだ。

 側面の乗務員室脇に格子状の空気取り入れ口が設けられており、これは降雪時でも支障なくモーターへの空気取り入れができるようにした雪切室とのこと。初めて目にするこれは特徴的であり、見慣れた115系が精悍な顔つきに変わって見えた。この新製車は耐寒・耐雪構造を強化したということで1000番台を与えられていた。なお、屋根上は冷房準備だった。

 

このあと、高崎経由で上越線へと向かった。