線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’78讃岐・阿波・京の旅-5-

【京都へ】

 高徳線、連絡船、急行「鷲羽」と乗り継いで5時半に新大阪着。そのまま緩行線に乗り継いで6時過ぎに京都に着いた。もしかしたらまだDF50が残っているのではと思い、早速、山陰線の朝の上り客レを見てみることとした。

 山陰線下り列車に乗り込む。丹波口の手前で七条通りの市電と交差するかと目を凝らしたが廃止になってしまったようで、線路は見えなかった。

 このままずっと乗っていても、上り客レとはすれ違うばかりとなりそうなので、色々思案した挙句ちょっと開けて見えた嵯峨で、もうここでいいや!と降りてしまった。

322レ 普通 薗部発京都行

3521D 快速 京都発薗部行

 

 築堤の線路脇に立ち待っていると、やって来た機関車はDD51。次の列車も同じDD51牽引だった。残念ながら期待したDF50との出会いは叶わなかった。場所を変えての山陰線のスナップを試みたが、嵯峨駅周辺はゴミゴミした路地裏のような場所ばかりで、すっかり打ちひしがれた気分となった。

118(モボ111形)

 その後は、嵐山から京福電鉄に乗り帷子ノ辻から北野線北野白梅町に出た。

1829

 市電を1枚スナップしたあと、バスで今出川河原町に行き出町柳駅から京福電鉄叡山本線で八瀬遊園に行ってみた。

 電車はポール集電の古典的スタイルだったが、軌道がしっかり整備されているのが印象的だった。八瀬遊園から本来ならば鞍馬線へも行くべきところだが、今回はとりあえず見てみようというレベルなので、手っ取り早い八瀬遊園だけで失礼することにした。

203(デオ200形 自社発注)

508(デナ500形 元阪神

 車庫のある修学院で降り少しだけスナップ。ポール集電時代の記録が出来て良かった。

 元田中から京都市電に乗り変えて京都駅へ行き、梅小路蒸気機関車館に寄ってみることにした。

 梅小路は今回が初訪問だった。動態機はC1164、C571、C622とのことだったが、この日はC622が展示運転していた。初めて見るC62のボイラは太く大きく、その汽笛はレコードで聞いていた音色そのものだった(当たり前だが)。

 午後の斜光線を浴びるC62のボイラは美しく神々しかった。中高生の頃、雑誌記事でしか目に出来なかった憧れのスワローエンジェルに見とれてしまった。

夕方、山陰線に乗り亀岡の宿に向かった。

(1978/2/24)