線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

西武2000系

 割と近い所に住んでいながらも、通勤や買い物に利用しないので馴染が薄い西武線青梅線に乗っていて拝島で時折見かける西武線にも銀色電車が目立つようになって来たような気がする。黄色い電車の勢力が目に見えて衰えてきているようなので、どんな様子かと拝島線から新宿線に乗ってみた。

 拝島に出向くと運よく(旧)2000系に出会うことができ、2両編成が新宿方に付いていた。西武線素人の自分はマイナーチェンジの(新)2000系とは顔が違うので区別がつくが、(新)2000系と9000系の区別が付かずにいる。

 小平から花小金井の間にSカーブがあったので行ってみた。花小金井から歩いて200分ほどのここは有名な場所らしい。カーブ通過でゆっくり走るので電車見物には絶好だ。

 西武立川の近くに気持ちの良いストレートがあった。ネットの運用情報を参考にさせていただくにしても、どの編成が(旧)2000系なのかこれまで判らなかったが、この日実際に車番を確認したので見当がつくようになった。それにしても折角の前パン車でありながら、シングルアームでは様にならないなと思う。

 歴史を感じさせる銘板があった。昭和58年というと車齢40年かと感慨に耽る。さて、初めて2000系に出会ったのはいつの頃だったかと思を巡らす。

(1977/3/6)

 古いアルバムをめくると2000系登場時の鉄道友の会見学会のスナップが出て来た。そうかあれ以来か、46年ぶりにカメラを向けたかと長年の不義理を詫びる(笑)。

※2001の編成だが、むしろ脇に小さく写り込む車両に時代を感じる。

(特記以外は 2023/1/18)

 

沢井柚子

 先日に続いてこの日も青梅線の御嶽の方へ。ちょっと気になる情景を確かめたくて御嶽駅から川井の方へと行ってみたのでした。途中、昼食に寄った蕎麦屋さんでは可愛い柚子を頂いたりして。

 御嶽駅に戻ると「沢井柚子」の幟が立っていました。そうかこのあたり(沢井)は柚子の産地で、こんなブランド名があるのかと初めて知りました。人名にもなりそうな可愛い実を手にして青梅線に乗ってみます。

 御嶽渓谷を見下ろしながらクネクネと線路は進みます。平日の昼下がり乗客もまばらな車内ですが、なんとなくほっこりさせてくれる柚子の実を手に。

 古里で下車、乗って来たのはラッピング編成でした。イラストを背景に柚子の香が引き立ちます。

(2023/1/11)

 

白丸、奥多摩、軍畑

 この日はちょこっと散歩気分で青梅線の奥の方へと。

 かつて石灰石列車を牽くED16やEF64が通った白丸駅ホームの端のトンネルも、今は233系の舞台。

 こうやって切り取ると益々山小屋感が増す奥多摩駅舎。2階にはコーヒーや軽食を頂けるお店が出来ていました。南向きの日の当たるこちらの席か、目の前に電車が見えるそちらの席か。(空いている席にどうぞ・・・って)

 軍畑の鉄橋下に降りてみました。鉄骨を組み上げた橋脚に圧倒されます。

 無骨な73形やED16のモーター音が響き渡っていたあの頃に、もっともっと通っていたならば・・・と、今更ながらに思いを馳せたひとときでした。

(2023/1/9)

 

名古屋駅から清州

 帰り道に名古屋駅で在来線をスナップです。この駅でカメラを持ってホームをウロウロするのは何年ぶりかと思うと、20歳の時(太古の昔か)以来のことかと・・・。

 ホームの佇まいは昔と変わらぬものの、目にする車両は未知のものばかり。これなんぞは一見すると電車かと思えば気動車でした(笑)。鳥羽行き快速のキハ75。

 JR東海管内では300代を名乗る形式がありますが関東者には馴染がありません。せいぜい熱海や御殿場線あるいは塩尻あたりでチラリと目にする程度。そのチラリと目にする313系とはちょっと顔立ちが違うなと思ったら315系とあった。どうやら新形式らしい。

 高山線の「ワイドビューひだ」に充てられているキハ85が引退するらしい。結局一度も乗らずに引退となってしまった。

 

 そうこうしているうちに午後3時近く、そう言えば南松本からのロクヨン重連が来る頃かと思い、手軽に駅撮り出来ると言う清洲に移動しました。

 ホームに降りると直ぐ赤いゴトーが追いかけて来ました。後ろには石灰石を積んでいるのかセキが連なっています。かつての青梅線石灰石列車以来の出会いでしょうか。

 数分後、目指すロクヨン重連が姿を見せて来ました。しかしそれに被るように上り普電が到着してしまったので、急いでホーム端まで移動してなんとかギリギリでスナップ。(やれやれ)

 更新色揃っての重連もカッコイイかも。

 あおなみ線の車窓に見た気動車の塒など、行くべき所も多々ある名古屋だけれど、とりあえず新年安直日帰り旅はココまでとしました。

(2023/1/5)

 

168-9001

 リニア鉄道館では是非会いたいと思っていたのが、新幹線100系の食堂車168-9001でした。

 新幹線100系の思い出を以前にもお伝えしたところですが、その思い出の168-9001にやっと会えることが出来ました。

 試作車を示す9001の番号に興奮したものです。

 昼時を過ぎ室内が落ち着いたころを見計らって食堂車へ。大きな窓からの眺めはゆったりした気分にさせてくれました。海側の車窓には丁度徳山のコンビナートが過ぎ去って行った記憶があります。

 食堂車壁面のエッチング板には国鉄の花形列車のイラストが描かれていたのも覚えています。

 あの時、食堂車車内でカメラを出すことは憚られ、これらの情景は記憶にしか残っていません。それで今なお保存されている食堂車、しかも乗ったことのある168-9001だからこそ、再会したいカメラに収めたいと思ったのでした。

(2023/1/5)

 あの時の所用は1泊2日、帰りに乗った翌日の列車もなんと同じ編成でした。せめても足跡を残したいと思い、再度168-9001に乗り込んでコーヒー1杯を注文しレシートを受け取ったのでした。

 裏面には「ビュッフェ東京」の印刷があります。簡素なレシートですが新幹線食堂車の佳き時代を思い起させてくれています。

 

リニア鉄道館

 名古屋のリニア鉄道館、特別惹かれる訳ではないけれども、何かの折のついでにでも寄ってみようかなと常々思っていました。そんな中この年末始のネット上で「C57139に日章旗」との記事を見つけて衝動的に行ってきちゃいました。(笑)

 永く名古屋機関区にあり、数々のお召列車牽引の任にあたってきたという誇り高き機関車として有名です。勿論、自分は実機を知りませんが、その番号は中学生の頃から記憶しています。

 鉄道ファン誌の1969年12月号、昭和44年9月30日のさよなら列車牽引時の機関区での正面の写真が鮮烈な記憶となっています。それは見たこともないようなピカピカの姿でした。この写真で機関車を磨き上げるということを知ったように思います。

 お召装備という特別なモノは、何事にも縮小傾向で地味な今の世の中にあって、今や望むべくもありませんが、ハレの日を象徴する姿に惹かれます。

(2023/1/5)

 

’77年 北陸駆け足旅 ー7ー

【1977/3/20】の続き

 福井発午後1時半の急行に乗って富山へ向かう。以前から気になっていた富山地鉄を是非見たいと思ってのことだ。

 富山に着いたのは午後4時近く、日没も近いので急いで電鉄富山駅から上市行きに乗車した。どこか撮影に適した場所を見つけて降りるつもりだった。

 越中荏原の先で大きな鉄橋を渡った。とても良さそうな場所に思えたがなかなか次の駅に停まらない。やっと駅が見え「ここから鉄橋まで戻るのは遠いかな」と思ったところで、停車したその駅の前方が開けており立山の山並みが迫っていた。ここだ!と急いで降りた。そこは越中三郷という駅だった。

 夕方近くの光線は弱々しいものの、電車の前面を照らしてくれている。1時間ほど滞在して数本の電車をスナップ出来た。

 ここでの情景は強く印象に残り、富山地鉄の撮影地=越中三郷と自分の中では結び付いた。こうして越中三郷という駅名を強く認識し、後年の夏にも訪れたことがあったが、後に知る駅舎の佇まいにはまったく目を向けていなかった。

 それを知ったのは、かれこれ30数年近く経ってからのこと、その越中三郷駅は実に魅力的な駅舎であり、その駅舎に掲げられた駅名が味わいのある書体だったのだ。

 

 夕方近くなったのでスナップを切り上げる。富山から一旦金沢へ戻り、金沢発の急行「能登」の座席を確保して帰途に就いた。正味3日間ではあったが、中身の濃い旅だった。

<おわり>