線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’79 蒲原鉄道

 県庁前からタクシーで新潟駅に着き、磐越西線に乗り継いで五泉に着いた。蒲原鉄道への乗り換え改札口では乗車証明を配っていた。車庫のある村松は2駅先にあった。

 村松に着くと加茂行きの電車(モハ12 昭和5年日車製)が待っていた。村松は中核の駅らしく、運転系統が五泉村松村松~加茂に分かれているものの、村松で双方の列車が接続するというか、乗り換え必須のダイヤになっているようだった。

 

 構内では凸型電機がワム2両の入換えを始め、なんと五泉から今乗って来た電車の五泉寄りに、その貨車と機関車が連結された。

 次の五泉行きが混合列車となると判ったので、急ぎ駅の先へと移動してスナップ。

 電機+貨車+貨車+電車が目の前を通過して行く。電機と電車は協調運転なのだろうか。(線路と平行する道路脇には昔なつかしい張りぼてのおまわりさんが立っている)

 車庫にお邪魔する。凸型機関車(ED1)は、五泉から折り返しの列車の前に立って帰って来た。

 構内に目をやると、小窓が連なる魅惑的な電車(モハ11 昭和5年日車製)も。

 加茂行きの電車(モハ41 開業時の電車デ1形の昭和29年改造名義)に乗り、先へと進む。

 昔、どなたかから頂き、コレクションに加えた1枚のきっぷ。そこにある「大蒲原」とはどんな所なのだろうかと、その駅名に惹かれて訪ねてみることにした。

 交換設備のある駅だった。単行の電車が到着すると数人の客が降りて来た。

 駅構内を外れると田園地帯が広がるが、どことなくうら寂しい風景に思えた。

 その加茂方から村松行がやって来る。駅舎の構えからしてもここがある程度は乗降客の多い駅と思われる。

 僅かな停車時間のあと、村松に向けて遠ざかる電車を見送った。

 このあと加茂に抜けて今宵の宿のある柏崎へと向かった。

(1979/10/18)