線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

’78東北私鉄巡り旅 -4-

【1978/9/14】

 弘前から8:11発の普通列車で大館へ向かう。大館へは後続の急行が先着するが、客車の旅のほうが味があると思い選んだのだった。大館の手前でその急行と特急「いなほ」の通過待ちで30分停車した。

 1695レ 陣馬

 キハ26 21 大舘

 同和鉱業の大舘駅は国鉄駅の前にあるが、共に市街から外れた所にあった。鄙びた駅の割には自動券売機が設置されていた。

 構内にはDD13タイプのDLが2両見えた。花岡から来たと思われる貨物は前後にDLをつなげており、そのまま入換え作業が始まった。

 花岡行きのDCは2100形。

 車内を見ると座席にはレザーカバーが付いており優雅に見えた。乗り心地も良く空気バネ台車かも知れないと思った。

花岡駅

 花岡からそのまま折り返し、大舘から花輪線、盛岡から山田線へと乗り継いで三陸海岸を目指す。

 花輪線は初めての乗車。竜ケ森の駅名にかつての雑誌記事でしか見たことのない花輪線ハチロク三重連を思い出す。その構内にはスキー客用なのだろうかナシ20とオハ31のようなダブルルーフの客車が鎮座していた。

 盛岡での乗り継ぎ時間を利用して盛岡駅前局の風景印を求めた。

 盛岡からの山田線はひたすら山の中を進んで行った。車窓に田んぼは見えず寒村が続く風景と言ったところのように思えた。

 かつて蒸機機関車の乗務員が窒息死したという区界トンネルは上り勾配が延々と続いていた。大志田、浅岸はスイッチバックとなっており前進後進を繰り返す様が楽しかった。

 途中、陸中川井にて記念押印を頼んでみた。

 夕方17:44宮古に到着し駅近くの宿に入った。