先日自宅に届いた鉄道友の会の機関誌、今号では’70年頃の桜木町/東横浜をまとめた記事があり興味深く拝見。その中の1枚の写真と添えられた記事に目が釘付けとなりました。
それは正に少年の頃に抱きつつも、この歳までずっと頭の片隅にあり続けた疑問を解決してくれるものでした。感謝!感謝!!
時は遡り1970年中学3年生の夏休み、高島貨物線のD51が10月のダイヤ改正で消える前に、少しでも目に焼き付けておこうと、鶴見駅構内はずれの自称桟敷席へ日参していました。
ある日の夕暮れ、新鶴見へ上って行くD51牽引貨物列車を見送っていると突然、客車が連なっているのが目に入りました。えっ何客車?何だこれ?車体は茶色、青い帯だ!どこから来た? 少しパニックになりつつも、車号に目をやると「スロネ30」とありました。スロネ30?・・・列車は目の前を通り過ぎて行ってしまいました。
クハ、モハ、キハくらいしか普段目にしない鶴見の中学生にとって「ス」も「ロ」も「ネ」も別世界。忘れてはいけないと、家に帰る時も必死に「スロネ30、スロネ30」と、呪文のように唱えていた覚えがあります。
以来、ずっと頭から離れません。あれは何処から来たのか、何処へ向かったのか、高島貨物線沿線に客車区は無いし、仮に西の方から来たとして、わざわざ高島貨物線を経由する必要があったのか。
(1970/7/22)
たぶん、この日のこの列車だったと思います。この時以来50年、すっかり白髪頭の爺さんになってしまいましたが、長年の疑問を解決出来た記事に出合えて幸せです。