線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

新見という名

 夜、新見駅に行ってみた。

 「新」と「見」の文字を見ると、自分には慣れ親しんだ「新鶴見」に一瞬見えてしまうという妙な感覚がある。

 都会のように運休や遅れを知らせる案内放送は聞こえず、駅員に詰めよる乗客も居なく、駅はひっそりしていた。ただ姫新線の運休案内が掲示されていた。駅員氏に伯備線の様子を訊くと「まだ遅れはある」とだけ淡々と答えてくれた。

 入場券を購入しホームに上がらせてもらった。当初は貨物列車や「やくも」の入線風景などをスナップする目論見だったが、そんなことは叶わず。ただ回送の115系が1本だけ中線に停まっていたのをスナップ出来ただけだった。

 伯備線ホームの待合室には若者が数人。列車を待っているのか、単に時間潰ししているのかキャッキャと騒ぐ声だけが響いていた。

(2023/9/11)

 

 新見という地名は中学生の頃には知っていた。新見機関区のカマによる伯備線のD51三重連はあまりに有名だった。

 そしてもうひとつ、当時、自分にとって身近に眺めていた新鶴見機関区のD51が2両、高島貨物線の電化完成とともに新見機関区に転属したことも、それを知る理由のひとつとなっている。

【D51723】

(1970/1/11 新鶴見

『1969/9/4新津から新鶴見、1970/9/19新鶴見から新見、1971/12/20廃車』

 新鶴見では1年ほどの活躍だった。それまで標準型しかいなかった同区にあって、重油タンクを装備しキャブに旋回窓を持つ、重厚感溢れるカマが3両同時期に転入してきて異彩を放っていたが、その内の1両だった。因みに新津、新鶴見、新見と異動したので区名札は「新」、「新」、「新」と続いたはずだ。

【D51774】

(1970/8/22 鶴見川橋梁)

『1970/10/11新鶴見から福知山へ、1971/1/28福知山から新見へ、1973/3/31新見から浜田へ、1975/1/25廃車 出雲大社境内にて保存ののち旧大社駅構内に移設保存』

 新鶴見にあってD51723などの重装備のカマが転入する前は標準形しか居らず、その中でシールドビーム副灯を持たないD51774は、原型を保ち大好きなカマだった。

 新見に転属してからは集煙装置を装備し、D51三重連の先頭に立つ雄姿を何かの印刷物で見かけたことがある。ナンバーは懐かしくも別人のような容姿となり、多くのカメラマンの前に立つ人気者となってしまった姿に、違和感を持ってしまった。そして今、旧大社駅構内に佇む姿を見ても、自分の知っている774とは違う気がして仕方が無い。