線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

横川から津久田への日 ー2-

【横川から続く】

 この日のメインイベントを迎えるべく、横川を発ち高崎経由で上越線の津久田に降りた。

 これから来る上り列車を所謂列車写真としてスナップするなら、もっと別の場所があるのだが、間もなくやって来るその列車の愛称幕をしっかり撮りたくて、この駅の近くの線路脇に陣取ることにしたのだった。

 駅を降りてその場所へ向かう途中、背後からのモーター音にふと振り返るとEF15の下り貨物がやって来たので慌ててスナップ。まるで歩道橋のような駅の跨線橋がいただけないが、汽笛カバーやスノウプロウの付いた15は精悍でカッコイイ。

8702レ 急行「石打スキー1号」

 1月半ばから2月一杯の土日に走る、いわばスキー臨の代名詞ともいうべき「ハチ・ナナ・マル・ニ」である。これから来る本命の10分くらい前の露払い的に走ってきた。足回りにも前面にも雪が無いということは、きょうの上越国境は穏やかな天候なのかと思われた。

8026M 石打発上野行き特急「新雪1号」

 これを待っていた。冬のシーズンしか走らず普段目にすることの出来ない「新雪」の文字を是非とも見たかった。この年の運転日は、1月15日とこの日の2月11日の2回だけだったので、この日を逃すともう終わりだった。

 曇天の横川を後にして天候の快復を期待した津久田だったが、その期待もむなしく曇天のままだったので、露出もシャッター速度も稼げずにぼんやりとしかもブレたカットになってしまったのが悔しい。

(1975/2/5)

 本当はここで以前に撮ったこれをイメージしていた。そして出来れば181系のこの大きなヘッドサインで「新雪」の文字を見ておきたかったのは言うまでもない。

クハ55442(高シマ)

 津久田では30分ほどの滞在でスナップを済ませ帰途についた。その途中、新前橋のホームでクハ55を見かけた。新製115の投入ですっかり職場を追われた感のある、旧型国電の寂しげな様子だった。

 

 あの頃は、なんとか卒業の目星もつき学生生活の最後の日々をテツに邁進していたようで、その晩一旦帰宅したものの、なんと翌日も再び上越線に出向いていた。

(特記以外は 1978/2/11撮影)