線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

羽黒下今昔

 実はこの羽黒下駅には1971年3月に訪れています。中学の卒業式を終え高校入学前の春休みに、友人2人と連れだって横浜からの日帰り撮影旅を敢行しました。

 早朝に家を出て上野から急行「妙高1号」に乗り、小諸から小海線に入り中込へ。中込機関区を見学して、ここ羽黒下へ来ています。特に撮影名所でもなく単純にダイヤ上で上下の貨物列車を効率よく撮影出来そうだと推定して降りたようです。その時のスナップを基に52年ぶりに立ち位置を探してみました。

【1】 駅北側の青沼寄りの踏切にて急行「のべやま」

 長野~小諸~小海~小淵沢~松本~長野という循環急行として有名でした。因みに逆回りは「すわ」の名でした。

【2】 駅を発車して小諸へと向かう193レ

【3】 振り向きざまにもう一枚。踏切は先ほど「のべやま」を撮った場所。

【4】 小淵沢へと向かう194レが到着。

【5】 194レの駅での解結作業の様子。駅は木材の集積所となっていたようで、木材を積んだ貨車の入換えをシゴロクが行っていました。

【6】 入れ換えが終わり小淵沢へと発車する194レを駅南側の踏切脇からスナップ。

(以上 1971/3/15)

※当時は車両にばかり目が行っていて、駅舎の記憶は勿論スナップもありません。

 

 さて【1】【4】の今はというと。 

 北側の踏切(平林第二)は健在でした。周囲の風景も変わりありません。流石にハエタタキはありませんね。

 

【2】【3】の今

 193レの発車して来るところと振り向きざまに撮っていることから、画面中ほどの茂みのあたりと思われます。残念ながら民家が建っていました。

 

【5】の今

 背景の山の稜線を頼りに探してみました。左の建物の向こうに駅があります。この場所の足元はコンクリート打ちされており、この場所に木材が積まれていたのだなと推定出来ました。

 

【6】の今

 南側の踏切(平林第一)も健在で、踏切脇が若干高くなっており同じアングルが得られました。線路脇の建物が【5】にあるコンクリートの建物に様変わりしています。

 

 52年前の撮影のあとは小淵沢に出て、急行「アルプス8号」で八王子経由横浜線京浜東北線で夜遅くに帰宅。中学生にはそこそこハードな日帰り旅だったようです。(友人のご両親も遅い帰宅に心配したらしい。)

 

 今、駅の出札業務は地元自治体に委託されており、この日もおひと方が窓口におられました。昔のことをお聞きすると、

・この地区が木材の出荷でおおいに賑わっていたこと。

・町の中心街で旅館や多くの飲食店もあったこと。

・今も駅前にあるYという会社が木材の切り出しから出荷を担っていたこと、

・今は空地と農園になっている駅の向こう側(【5】の写真のC56の向こう側とのこと)に作業場があり、引込線から貨車に積み込んでいたこと。今も建屋とレールが残っているとか。

国鉄編入される前の佐久鉄道の時代から木材出荷で賑わっており、当時は線路の枕木用として全国に出荷していたとのこと。

 など色々とお話を伺うことが出来ました。そのYという会社では駅の近くに木材の集積所を設けており、うず高く積まれた木材から懐かしい木の香が漂っていました。

(2023/8/23)