線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

あの日から30年、そして50年のいま

 一部既出ではありますが、ネットのお蔭で繋がった少年の頃の思い出を披露させていただきます。

 20年ほど前というと個人が競って自らのHPを作成し始めた頃でした。そんな折、テツなBBS繋がりでの少人数のオフ会があり、参加させていただきました。各自が持ち寄った資料や本、写真などで話題に花が咲く中、京都御出身の品川530さんから「少年時代に関東に来たの時の写真」として披露された中に、高崎第一機関区のスナップがありました。

 「あっ、シゴハチの6ですね。」と会話しながらも、自分の写真と光線具合や錆の具合が似ているなと思ったのでした。そして「もしかしたら、同じ頃に行っているかもしれません。」とその場は終わったような気がします。

 後日、互いの撮影日を確認すると1970年8月8日であることが判明し、光線状態が似ていることから同じ時間帯であることも分かりました。

 と、同時に中学3年生の夏休みのあの日の記憶が鮮明に蘇っていたのです。

 翌日に足尾線のC12を撮りに行くつもりで、群馬・伊勢崎の母親の実家をベースにすることとして、前日に高崎に寄りました。第一機関区は前年以来の2回目でしたが、すっかり火が消えて寂しい光景となっていました。

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 寂しいと言いながらも、扇形庫にずらりとカマが並んだ姿を収めようと転車台近くから全景を眺めていました。2〜3人の御同業がカマの近くにいらしたので、終わるのを待って撮ったような気がしますし、待ちながらこんなスナップもしていたようです。

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 ナンバープレートを外されたカマが大多数な中、C1247がこちら向き、煙室扉を鈍く光らせながら佇んでいたのが印象的です。

 やがて扇形庫から少し離れた場所に佇むC586の所から、同年代と思しき少年2人連れが転車台に沿ってこちらにやって来ました。お顔や背格好の記憶はありませんが、白っぽいシャツ姿だったような、そして鮮烈な記憶となっているのが関西弁を話されていたこと。

 それまでTVなどでしか聞いたことのない、リアル関西弁の方がすぐ目の前を通り過ぎたことが強烈な印象となっており、帰宅後両親に「高崎の機関区で関西から来ている人が居た!」と話した記憶があります。

 その少年2人の内のおひとりが品川530さんであることが30年経って判明し、そこから20年、都合50年経った今でも互いのブログで語り合っていることの面白さや奇遇に、ネットのお蔭とつくづく思っております。