左沢線を後にして赤湯へと移動して山形鉄道に乗車です。目指すは終着の荒砥で、以前乗り潰しに来たことがあり荒砥は2回目です。
その乗り潰しの際の車窓で記憶にあるのが荒砥手前にある最上川に架かる重厚な鉄橋。きょうはその鉄橋の袂に立つのが目的です。
前日に見た左沢線のものと塗装こそ違えども瓜二つの形状です。明治20年、東海道線木曽川橋梁で供用された9連プレートガーターを、大正時代になって架け替えすることとなり、200ftの桁を150ftに短縮改造して5連を左沢線へ、3連を旧長井線へと移設した経緯から「双子橋」と呼ばれているようです。
ここの最上川橋梁は3連ダブルワーレントラスと9連プレートガーターで構成されていますが、高台にでも上がらないと全体をカメラに収められそうにもありません。
先の左沢線での供用開始は大正10年で、ここ旧長井線での供用開始は大正12年。2年のずれはあるものの、ともに軽便鉄道として開業した際に設置されているところが興味深いです。マッチ箱のような軽便車両とこの重厚な橋梁の取り合わせはどんなものだったのでしょうかね。
もうひとつ興味深いのは、左沢軽便鉄道の左沢と長井軽便鉄道の荒砥間を結ぶ計画が大正の時代にあったということ。その後には立ち消えになったようですが、実現していたらと夢が膨らみます。
最上川橋梁は通称「荒砥鉄橋」と呼ばれているようで、併せて観光スポットとして町が取り上げているとのこと。観光ガイドにも載り、このように案内板まで掲出されています。山形鉄道が第三セクターであることも理由と思われますが、前日の左沢線ではこのような案内は見かけませんでした。
(2021/6/22)