大森以上に日参したのは横浜・新子安です。
朝9時ころからのブルトレ・ゴールデンアワーには、ホームの横浜方。下りの荷レや団臨があるときはホームの川崎方がお馴染みの場所でした。
(1979/6/3)
荷31レをEF5860が牽いてきました。前月には愛知県でのお召列車牽引を終えたばかりなので、美しい姿を見せてくれています。荷物列車自体は、パレット車が多く組み込まれるようになったため、編成美が損なわれているのが残念。
(1979/6/5)
12系の団臨8111レを「関」(下関)のカマが牽くというので期待して待ち受けていると、鋳鋼台車を履いたゴハチの30番がやって来ました。
(1979/6/10)
お座敷(グリーンかも?)の団臨です。ゴハチの11番は前面窓がHゴム化されていて、残念なカマとしての扱いをしていました。
この場所は令和の現在でも同様の景観を保っており、人気の場所となっていますが、当時はあくまでも手頃な撮影場所でしかなく、趣味誌にここでのカットが載ることもありませんでした。
多くても5〜6人の、いつも見かける同じ顔が集まっていたように思います。後年の混雑・密集が嘘のようなのんびりした時代でした。