当時の会津若松運輸区構内は、近隣住民の方の生活道路となっていて立ち入りはフリーパスでしたが、カメラを持ってうろうろするのはちょっと気が引けるものでした。 きちんと受付をすれば、警戒色のジャケットみたいなものを貸与されるので、受付を済ませた人かそうでない人かは一目瞭然でしたね。
こんなものも庫に収まっていたのですね、今回ポジをひっくり返して気が付きました。40年前の撮影シーンは明瞭に覚えていても、20年前となると忘却の彼方です。
ラッセルヘッドとDE15あたりでしょうか。近年見かけるこの手のものは、軽快で小回りが利きそうですが、国鉄型に比べれば弱々しく見えます。大雪のみならず豪雪の際には旧来の国鉄型が頼もしく思えます。
手前の只見線キハは28・58の前面のようですが全景を撮っていません、20年後にはキハ40で大騒ぎすることになるのですが、当時は全く気に留めていませんでした。
雪交じりの中、郡山へ向けD51が発車して行きます。磐梯町とは打って変わった豪快な発車に身震いしつつ、シャッターボタンに力が入りました。
この頃は、、こうして運輸区と本線の境あたりでも撮らせていただけたのですね・・・。
(1999/1/1 撮影)