線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

車輛配置の標記が消えている!

 年末から年明けになり、日頃見かける中央線233系の車両配置の標記「八トタ」を消された車両を見かけるようになり、日ごとに増殖しているようだ。先般の山陰旅行でも標記の無い車両を散見したのだが、これは全国的な方向なのだろうか。

(1982/10/16 上野)

 自分としてはその標記に旅情を感じて来ただけに、消える方向だとすれば寂しい限りだ。国鉄の時代の例えば上野駅にて、北国から到着した列車の編成には「盛モカ」や「秋アキ」、「仙セン」、「新ニイ」、「長ナノ」、そして「金サワ」などに遠い彼の地に思いを馳せた。東京駅でも「名カキ」や「静シス」も顔を出していた。

(1982/9/20 札幌)

 北海道を旅すれば「函ハコ」、「札サウ」、「旭アサ」。九州を旅すれば「門ハイ」、「分オイ」、「熊クマ」、「鹿カコ」等々。これらの標記を目にすると遠くに来たことを実感したものだった。

(1982/11/1 上野)

 ところでこの標記、停車中の列車では頻繁に目にするものの、車端部にあることからカメラを向けることは滅多になかった。まして特急車両では車端部のさらに妻面にあることから、なおのことだった。

(1980/7/16 上野)

 流石に東京の「北」や「南」に旅情を感じることはないが、国鉄民営化とともに所謂東京3局が消えて無くなってしまったことを考えると、時の流れを感じざるを得ない。

(1985/2/24 東京)

 JR化後は、管理局名が支社名に変わり、電車区気動車区、客車区などの組織名が車両センターとか支所とかに変わると同時に統廃合もあり、馴染の標記が消え新しい標記の語呂に???と思いつつも、旅情の引継ぎは辛うじてされていたように思う。

 

 そんな標記が今、消えようとしている。これまで自分がずっと行って来た、乗車車両の記録ノートにそれが記入出来なくなるのは、なんとも物足りないものになりそうだ。

(2024/1/30 記)