線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

三鷹の跨線橋廃止

 中央線三鷹駅西方にある「三鷹跨線人道橋」が廃止されることとなっています。ここでは小さな子供連れの方々が電車見物に訪れる姿をよく見かけました。

 その子供たちにとっても良き思い出の地になろうかと思いますが残念です。(因みに自分にとっての跨線橋は鶴見の本山前踏切脇の跨線橋で、架け替えで姿を変えたものの、幸いにも現存しています。)

 そんな三鷹跨線橋の解体前の姿を見て来ました。

 真下には名前を冠したバス停もあり、地域に密着していることが判ります。

 上部トラス構造ではなく、四角いゲージに囲われたような通路になっており、細かな金網が貼られています。橋上からの見物に支障はありませんが、列車撮影には困難なのが残念。

 「電車庫通り」とは嬉しい名称ですね。

 さて、この跨線橋三鷹下連雀に住んでいた作家太宰治が好んで散歩していたとか。氏が「テツ」だったかどうか分かりませんが、線路を眺めながら遠く津軽の風景を偲んでいたのかも知れません。

 氏の紀行文「津軽」の中で、上野発17時三十分の急行に乗り青森に八時に着いたという下りがあります。時は昭和十九年、戦時ダイヤが組まれていたはずで、調べてみると青森行きは常磐線東北線経由で一往復だけ設定されていて、所要14時間半とありました。きっとこれに乗車したのでしょう、几帳面な記述が嬉しくなる一節です。 (2022/1/13)