線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

鶴見線17m国電の頃

 鶴見線の時計をもう少し戻します。

 高校生となった年のGW、たしかこの時も良い天気に誘われて「鶴見線でも散歩してくるか。」とカメラを持って出かけました。

f:id:senrobata:20220410183934j:plain

(国道)

 今と違って当時の鶴見線は列車本数も多く、駅で眺めていても次から次と魅惑的な17m車が姿を見せてくれていました。振り返ると夢のようですが、ところが全然撮っていません。地元でもあり、当たり前の光景だったのでしょうか。

f:id:senrobata:20220410183944j:plain

(浅野−新芝浦)

 浅野から新芝浦に向かって歩きます。子どものころ、この近くの側線に小型蒸機がズラッと並んでいたのを見た記憶があります。休車となった工場内入換用機関車ではないかと推測しますが、あの頃はまだテツに目覚めていませんでした。

f:id:senrobata:20220410183953j:plain

(新芝浦−海芝浦)

 今では考えられませんが、あの頃は新芝浦から海芝浦へも線路に沿って自由に行けました。新芝浦の守衛所で何か言われることもなく、入ってはいけないことさえも知りませんでした。

 海を眺めにサイクリング気分で何度か行ったこともあります。後ろに見える扇島も、当時はまだ造成中のようです。

f:id:senrobata:20220410184005j:plain

(1972/2/20 鶴見−国道)

 鶴見線はクモハ11+クハ16の2両編成が基本で、日中はその2両編成で朝夕が2両×2の4両編成でした。いつも日中の散歩がてらにカメラを向けるので、2両の姿しか撮っておらず4両編成はごく僅か。後悔しています。

 ところで先頭のクハ16、ちょっと見難いですが前照灯が埋め込みになっていて、異彩を放っていました。拡大します。

f:id:senrobata:20220410184015j:plain

(特記以外は 1971/5/3 撮影)