線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

京急1000形

 京急1000形、今は旧1000形と呼ばなければいけないそうですが、私の京急のイメージは70年代後半から80年代前半の時代で止まったままになっているので、1000形は1000形です。

 そんな1000形が今月末で引退だそうです。80年代前半というと、1000形の最終グループ1300〜が登場した頃です。その1300〜が今や細々と大師線と本線で走っているのみなのだそうです。ピカピカだった1300〜のイメージしかないので、そんな彼らが幕引き役を担うとは、なかなか信じられません。  

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 75年7月 上大岡−弘明寺

 朝の12連がH特にも拡大された頃ですが、当時は非冷房も当たり前でした。

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 77年3月 谷津坂−文庫

 この頃までは種別板を掲げていたので顔が締まって見えましたね。快特から普通まで、1000形はオールラウンドの活躍でした。

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 75年7月 八景−文庫

 夏と言えば京急夏ダイヤ、海水浴特急がバンバン走ってました。でもこの頃には海特が廃止されて快特になっていました。冷房は無く、窓は地下鉄乗り入れのため10cmしか開きません。元ファンデリア車ですが、車体更新の際にラインデリア化されたので送風能力は向上していたように思います。でも、今の時代からすれば、これに乗せられるのは拷問?(笑)