線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

あの頃の京急

 1976年6月、鶴見川は高架化されていたものの京浜鶴見はまだ地平の時代。

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(1976/6/10)

 鶴見川へ向かって駆け上る1000形の急行「高砂」行きと、鶴見川から駆け下りて来ると都営車による急行「逗子海岸」行きが、うまい具合に離合してくれました。

 他社線の行先を表示して走る様子は今でこそ当たり前ですが、この頃は新鮮でした。というのも京急車の急行は自社内(川崎以南)が主でしたし、都営車は川崎までの入線が主でしたから。

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(1976/6/26 京浜蒲田)

 空港線がまだ230形だった時代。空港線の運用を終えて新町での入庫に合わせ、蒲田から新町まで営業運転する列車がありました、23時台だったでしょうか。

 蒲田に着いた列車は客を降ろすと方向板を変えて、品川方の引き上げ線に向かいます。その後、開通を待って蒲田の下りホームに入線すると間もなく新町に向けて発車。  本線上の230形普通列車の乗り心地を味わうことが出来ました。(この日が唯一となったなぁ)