線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

50年目にしての発見

 弊ブログとリンクしていただいている転轍器さんのところで先日、七尾線の羽咋についてのアップがありました。

 羽咋には高校の修学旅行で訪れたことがあり、大昔の記憶を頼りにページを拝見すると、自分のスナップにも見覚えのある看板のカットを発見。さらには転轍器さんが触れられている文言をきっかけに、自分のスナップに埋もれた情景を見出すことが出来ました。

ということで転轍器さんとコラボしての羽咋のスナップをお送りしたいと思います。(ハーフサイズカメラでの露出もピントも甘いカットですがご容赦ください。)

駅のすぐ脇の踏切にて待っていると、季節臨の6307D「能登路5号」が到着。

 その「能登路5号」が対向列車待ち合わせで停車中。2面3線の羽咋駅の向こうに跨線橋と駅舎そしてホームが見えます。駄目カットとして放置していたこのコマにあったのは北陸鉄道能登線の情景と判りました。能登線はこの年の6月に廃止されていますが、能登線のことを知ったのはずっと後年のこと、当時は勿論知る由もなく今の今までこんな情景が写り込んでいたことさえ気付かずに放置していました。

 6307Dを待たせて308D「能登路5号」の発車です。脇に見える「プロパン」の看板がローカル色溢れていますが、今回、転轍器さんのところで同じこれを目にしたことが驚きでしたし、ちょっとした感激でもありました。

 上下の「能登路5号」の発車を見送った20分後、快速列車337Dが到着しました。前面の丸い看板には快速の表示があったような気がします。

 337Dを待たせて348Dが発車して行きます。当時の非電化ローカル線の風情そのままですね。先頭の郵便荷物車はキユニ17 11(金ナナ)です。転轍器さんのページには兄弟番号の12号が写っています。

(以上 1972/9/12)

 高校の修学旅行はグループ行動でしたが、千里浜を散歩したのち輪島へ向かい能登半島を一周、「ふるさと列車おくのと」にも乗車(勿論自分の扇動?です)した思い出があります。