線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

DD51に寄せて

 今春のダイヤ改正において、DD51の定期運用が消滅したとのこと。無くなるということで追いかけるほどの熱量はありませんでしたが、若い頃のスナップから幾つか拾い上げて贈る言葉としたいと思います。

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(1984/1/10 大越)

 磐越東線でのDD51の離合。いかついフォルムのDD51同士、ましてや重連の離合風景は迫力がありました。

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(1984/1/10 舞木−三春)

 磐越東線と言えばこのDD51三重連。機関車の回送も兼ねているので荷は軽いものでしたが、3台のDD51は見応えがありました。RM誌初号に載った記事を見て早速赴いたのでした。

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(1984/1/16 高麗川

 当時は地方まで出かけなくとも八高線にその姿がありました。高麗川に出向けば、ひと昔前のD51同様にDDがたむろしていたものです。

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(同上)

 構内の脇から至近距離でDDを眺めることが出来ました。メカニカルなキャブ回りをローアンからの眺めがカッコイイと思います。

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(同上)

 排気塔と前面窓は、鼻筋の通ったスッキリした目元の歌舞伎役者でしょうか。

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(1981/1/27 新津)

 その一方で、前面窓に旋回窓とツララ切を兼ねたプロテクターを装備した寒地仕様も魅力十分です。男子はこういうメカニカルな姿が大好き。

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(1974/9/8 大沼−大沼公園

 この年は蒸気機関車を求めての初めての渡道でしたが、蒸機よりも先にA寒地仕様のDD51をスナップする日程を組んで満足していました。

 この他にも福知山線武田尾や山陰本線での出会いなども記憶に残っており、決して嫌いじゃなかったDD51です。