【1977/3/19】の続き
福井へ戻り、国鉄の急行に乗って武生に向かう。武生新まで歩いて福武線に乗り込んだ。知り合ったばかりのその方は自分よりも年長の方で、このあたりも以前に来たことがあるとのこと、撮影に適した鉄橋があるから行ってみようとのことだった。
上鯖江で下車し手前の家久方に戻る形で向かって歩く。暫く歩くとお勧めの日野川の鉄橋に着いた。朝ほどではないが未だに靄が立ち込めていてスッキリとした写真が撮れないのが残念。ここでも駅で貨物列車の有無を予め訊いておき、しっかり撮ることが出来た。このような行動スタイルも初めての経験だった。
ここから川の土手を少し歩くと北陸本線の日野川鉄橋に出るとのことで誘われる。
鉄橋上は撮りにくいが取り付け部に大きなカーブがあり迫力あるカットが期待出来た。
そこは流石に国鉄の本線である、特急や急行、普通に貨物と、次から次へと轟音を響かせて列車が来る。ついついその勢いに押されてしっかりアングルを整えることなく安易にカメラを振ってしまったために、いい加減なカットを量産してしまったことを帰京後の現像で思い知った。
国鉄側でのスナップを終えて武生に戻るべく福武線家久駅に向かう。歩いている途中も平行する福武線の電車が行き交った。
お椀型ベンチレータの古武士が行き交う中、優美な200形はやはりピカイチだと思う。
武生からひとりで小松へと向かうことにした。やはり尾小屋鉄道の最後を見ておきたかった。相方とは福井で別れた。
※上鯖江の街を歩いていると、お爺さんが「どこから来た?」話しかけて来て、「こんな田舎へ横浜からよく来た。電車なんか写真を撮って面白いのか」と言われた。
また、乾物屋さんで昼食用にカップラーメンを買い、お湯を貰えるかと訊いたら、わざわざ沸かしてくれて、ここで食べろと店先に座らせてくれた。お店の方の親切心に触れた。