線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

愛称板付き急行

 巣ごもり生活が更に延長のようです。なので、古いアルバムをめくっては思い出に浸る日々がまだまだ続きそう。(笑)

 いかにも「ガキ鉄」らしい前面カブリツキがあります。

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(1968/9 横浜)

 ハーフサイズカメラを手に、目にしたもの何でもカメラを向けていた中学生当時のもの。314Mとあるので1967/10改正の時刻表をめくると、上り「東海2号」と判りました。

 晩年の「東海」は東京−静岡の運転でしたが、当時は東京−大垣が3本、東京−名古屋が1本もあったのですね。ほかにも昼行列車として東京−大阪の「なにわ」が2本と、客車での「霧島」「高千穂」「桜島」の設定も。なんという花盛りでしょう。

 では新幹線は?とページを開いてみると、朝夕では「ひかり」「こだま」が20分毎。昼は30分毎の運転と判りました。まだまだ高嶺の花というか、限られた人の利用が主で庶民は在来線を使っていたのでしょうか。

 もうひとつ、時刻表を見て気付いたのは、同じ急行でありながら「なにわ」は第一、第二を冠してるのに、「東海」は1号2号。何か格の違いでしょうか。巻末の編成表を見ても「なにわ」は載っているのに「東海」は載っていません。

 正統派とそうでない派の違いですかね。(笑)

 黄ばんだページの時刻表を開くのも、また楽しからずやでした。